9/22/2014
日本人の英語
マーク・ピーターセン氏著作、”日本人の英語”シリーズを何度も読み、
その度に目から鱗、自己の英語の文法、言い回しを、出来る限り気をつ
けようと思い20余年。過去にも2,3書いたが、たまには世のため
になるブログをと思い、以後気がついたら、書きとめておこうと思う。
---
昨日受けたメールに次のようなものがあった。
1) Dear Ms.Hanako
2) Did you sent invoice to me?
3) The invoice don't arrive yet.
日本人の英語が陥りやすい、良い(悪い)例の典型的なものである。英
語ネイティブがこれをなんとか読み込もうとトライすると:
1) 花子お嬢様、
2) 貴職は請求書という概念を、小職宛てに送りましたか?
3) その請求書は、まだ二度と届きません。
この日本語翻訳だけを読んで、違和感を感じない日本語ネイティブはま
ずいないであろう。
以下、順をおって:
1) Ms, Mrs, Mr の後には、full name または、surname だけが許され
る。first name だけを置くことはできない。この言語ルールに愕然と
する日本人は多いが、実に事実である。実際、Mr Takahiro と英語ネイ
ティブに呼ばれたことは人生で一度も無い。Mr Yoshida or Mr
Takahiro Yoshida であるか、または Hi Takahiro なのである。それ以
外のMr Ms Mrs の使い方は採り得ない。
2) 僕は日本語ネイティブだから、言いたいことは分かる。十中八九、”
例の請求書を送ってくれましたか?”ということを言いたいのだろう。
この場合は、invoice の前に、the を付けるだけで相当解決し、違和感
度が相当減少した表現となる(完璧ではないが)。日本人が英
語を扱う際には、極端ではあるが、前置詞のつかない名詞というは殆ど
ありえないのだ、ぐらいに心がけて良いと思う。a もつかない、the も
ない、複数形の (s) もつかない名詞は、”~というもの、~という概
念”と理解して、ほぼ間違い無い。以下に委ねるが、この場合 Did you
ではなく、Have you であろう。どうしても Did なのであれば sent
ではなく send が正解。
3) 日本人には実にやっかいである時勢の問題の典型。現在形の動詞、
このサンプルの場合"don't" 。こちらも乱暴だが、現在系の動詞という
のは、日本人が英語を使う場合に、よほどのことが無い限り使うことは
できないと思って良いかもしれない。現在形を使えるのは、習慣とか既
定の事実を表す以外にはほぼ使えないのだから、この"The invoice
don't arrive"は、”二度と届きません”という断定的な意味になって
しまう。さらにヤッカイなのは、その後に yet がついていることであ
る。僕は日本語ネイティブなので、なるほど、とコンテクストが諒解で
きる、”まだ到着していませんよ”といいたいのだなあと。しかしなが
ら、英語ネイティブでは、上の現在形動詞と yet を組み合わせると、”
まだ二度と届きません”というような、不気味な文章としか捉えられない
のである。
僕だったら、以下のような文章とするであろう。
Hi Hanako, (又は Dear Ms.Yamada,)
Can you please let me have the invoice.
または、
I haven't received the invoice.
ちなみに、以下は好みがあるだろうが、英語というのはロジックを重ん
じる言語なので、その重複は基本的には避けたい。
Can you please let me have the invoice as I haven't received.
という表現を少々煩わしく感じる英語ネイティブは、高等教育を受けた
方たちには、少なくないと思う。
---
ちなみに、新聞とかニュースの見出しというのは、どこの国でも独特の
言い回しをするようである。英国でも、過去に発生した事実であろうこ
と(微妙なもの含めて)を現在形動詞で表す場合が圧倒的に多いが、裏
を返せば、ほんまかいな、と多少疑いながらメディアに接するが、良き
読者の姿勢かと思われる(笑)。
9/13/2014
An northern English fork song by Elvis
https://www.youtube.com/watch?v=7ysvNzGLzcE
ライブエイド(1985年)の中盤あたりだったか、よく覚えていないが、オー
ディエンス、何が始まったのか分からぬまま an northern English
fork songが、赤のストラトキャスター一本だけで始まる。圧巻。
気合いれてコステロさんを聴きまくっていた時期。創造力、 vocal力、
哲学的風貌、ファッション、そして当時ARB・田中一郎氏も絶賛してい
た楽器演奏の巧さ。3分半ガッと盛り上げて、しゃあ~っと帰っていく
あたりのカリズマ性。
無用な比較だが、日系ミュージシャンでこの線に近かったのは誰かな、、、
多分泉谷しげる氏。
9/06/2014
Value Added Tax
消費税のおなはし。
概して英国は保守的な国であると思われているのではないだろうか。僕
は実にそう思っている。ただし、この場合の保守という単語定義に一つ、
歴史の事実に大いに恐れつつ、しかし Change を恐れず、必要な施策は即
座に断行せねばならぬ、という一句を入れねば理解できぬともおもう。
思うどころか、しばし過酷である。英国現政権はキャメロン首相率いる
保守党、その名も Conservativesであり、どういう組織なのか大変分か
りやすい政党、総選挙で勝ったのが2011年夏だったと思う。前労働党
政権下では、不況を見ながら 2009年にはVAT(日本の消費税に限りなく近
い税)を15%へ一度低減、その一年後の 2010年には17.5%へ戻す。キャメ
ロン氏は総選挙勝利の数ヶ月後2の012年1月4日、これを現在の20%へ増加
した。 VATの変化には割りと慣れている欧州ビジネス界も、これほどサー
カスのように動くVATはいささかウンザリしておったことであろう。
多くは省略するが、例えば長期保守契約が存在し、前払いや後払いの期
間が長く、VATの変更日を跨ぐような場合、VATが変わると、2種類の異
なったVATレートにより請求書を2枚発行せねばならない。これは、経理
システムがしっかりしていれば、どうってことはない処理なのだが、やっ
かいなのは、高いほうのVATを払うと会社が損するはずだ、と大いなる勘
違いをしている経営者が信じられぬほど沢山おられ、請求書の再発行を
求めてくることである。これを一から説明するにはあまりに時間がかか
り、理解してもらえないことが多いのがVATのやっかいさであり、更にト
ランザクションが国を跨ぐと実に複雑怪奇なものとなるので、全世界的
にVATという税制は、いずれ、数10年後には無くなるのではないかと考
えている。もしくは、米国で採っているような、Sales Tax の方が、万
人には分かりやすいだろう。
日本では野田政権でようやく漕ぎ付いた消費税増税は、翌年8%へ増加
(実施済み)、更に2015年に10%ということだが、どちらも”様子を見て”
という条件が付いているそうである。1年も2年も先に実施するいう法
案というのもどうにも分かりにくいが、さらに将来時点での条件が付い
ているとは、いったいどういう意味を持つものか、と疑問に思うが、日
本の政界では、こうした判断と施行は大変難しいのであろうなあ。ビジ
ネスの世界に身を置く僕には、なんだかとんと分からぬ、即ち私企業で
は多分ありえないbill である。
ちなみに、英国のVATは政府が決定権限を持っており、国会を通す必要が
無い。だから施策が速い。そうでもない日本では、野田さんは歴史に名を
残したと言える。
Early years education
幼児、少年期の教育がいかにあるべきかなどと論じる才覚も資格も毛頭
持たぬが、感じていることを小声でひとつ申し上げておきたい。
1年という単位での年齢別による能力やその試験結果を重要視するとい
う手段は、教育システムを作れと誰かに指示されれば、僕もそうするで
あろう。しかしながらもう少々、いわゆる遅咲き、というものに寛容さ
を取り入れることは、不可能なのであろうか。
僕の敬愛する小説家、故遠藤周作氏、小学低学年まで、雨が降れば傘を
さして、育てているアサガオにいつもどおりに水を与え、秀才肌であっ
た兄上をウッと言わせたという持ちネタや、教会の玄関にウンチの入っ
た箱を置いたりして大いに外国人神父さんに叱られたり、ティーンエー
ジャーになっても数理は全くチンプンカンプン、数学の証明問題の答案
に、”われもそう思う、全くそのとおり”、などは氏のエッセイにしば
しば登場し、おおいに微笑ませてくれる。
氏はその後、フランスへ留学する。20代後半だと思う。無論その頃に
は文学というものを真摯に見つめておられたのであろうが、帰国されて
ほんの2、3年後、”白い人”で芥川賞。この小説は重いものだが、3
0代前半の作品。氏の文学者としての開花は当時としては決して遅咲き
ではないかもしれぬが、雨の日にアサガオに水を与えていた少年の周り
のオトナ達は、20年後に、仏文学を勉強し、さらに自らが創作者となり、
その後何十万人、何百万人もの読者に、何らかの読後感を確実に残し、
死後もその業績をたたえる読者達が海外を含めて絶えぬような偉大な小
説家になるかもしれぬと、誰が予想できたであろうか。
映画畑から小説家に還暦を越えてから、転身・専念されて方もおられ、
この方の文体が相当好きだ。文学のことのみではあらず、僕が運よく接
する機会のあったビジネスの成功者、またはこれからどうしても成功す
るだろうなと、思わせる方々の幼少時代の話をお聞きすると、なかなか
興味深いことが多々ある。即ち、成績は同級生に比較して必ずしもよろ
しく無かったり、そのようなことと、まったく無関係なあたりのことに
熱中されていた、または特になにも疑問を持たずに遊び呆けの幼少時代
を過ごしていた方たちが少なくない。
それ、わがむすこ・むすめよ、たしざん、ひきざんができなくても、まっ
たくひかんするひつようはなく、はしのあげおろしが今はきちんとでき
なくてもかまわないんだ。ハタチになるころには、だまっていても左様
なことはマスターしていること確実であり、それは親の責任であって、
ゆっくりやるからまかせておけ。そんなことよりも、たくさんの肌の色
のちがう友達をつくって、彼らや彼らの家族、自分の家族たちとのたわ
むれのなかで、なにかおもしろいと感じたものがあったときに、その夜
おふとんに入ってから、明日はどうやって今日と違った攻めをして、ま
たは防御してやろうか、と懸命に知恵を働かせているうちに、すやすや
と寝に入ってくれれば十分だ。明日も元気に遊んでくれ。
持たぬが、感じていることを小声でひとつ申し上げておきたい。
1年という単位での年齢別による能力やその試験結果を重要視するとい
う手段は、教育システムを作れと誰かに指示されれば、僕もそうするで
あろう。しかしながらもう少々、いわゆる遅咲き、というものに寛容さ
を取り入れることは、不可能なのであろうか。
僕の敬愛する小説家、故遠藤周作氏、小学低学年まで、雨が降れば傘を
さして、育てているアサガオにいつもどおりに水を与え、秀才肌であっ
た兄上をウッと言わせたという持ちネタや、教会の玄関にウンチの入っ
た箱を置いたりして大いに外国人神父さんに叱られたり、ティーンエー
ジャーになっても数理は全くチンプンカンプン、数学の証明問題の答案
に、”われもそう思う、全くそのとおり”、などは氏のエッセイにしば
しば登場し、おおいに微笑ませてくれる。
氏はその後、フランスへ留学する。20代後半だと思う。無論その頃に
は文学というものを真摯に見つめておられたのであろうが、帰国されて
ほんの2、3年後、”白い人”で芥川賞。この小説は重いものだが、3
0代前半の作品。氏の文学者としての開花は当時としては決して遅咲き
ではないかもしれぬが、雨の日にアサガオに水を与えていた少年の周り
のオトナ達は、20年後に、仏文学を勉強し、さらに自らが創作者となり、
その後何十万人、何百万人もの読者に、何らかの読後感を確実に残し、
死後もその業績をたたえる読者達が海外を含めて絶えぬような偉大な小
説家になるかもしれぬと、誰が予想できたであろうか。
映画畑から小説家に還暦を越えてから、転身・専念されて方もおられ、
この方の文体が相当好きだ。文学のことのみではあらず、僕が運よく接
する機会のあったビジネスの成功者、またはこれからどうしても成功す
るだろうなと、思わせる方々の幼少時代の話をお聞きすると、なかなか
興味深いことが多々ある。即ち、成績は同級生に比較して必ずしもよろ
しく無かったり、そのようなことと、まったく無関係なあたりのことに
熱中されていた、または特になにも疑問を持たずに遊び呆けの幼少時代
を過ごしていた方たちが少なくない。
それ、わがむすこ・むすめよ、たしざん、ひきざんができなくても、まっ
たくひかんするひつようはなく、はしのあげおろしが今はきちんとでき
なくてもかまわないんだ。ハタチになるころには、だまっていても左様
なことはマスターしていること確実であり、それは親の責任であって、
ゆっくりやるからまかせておけ。そんなことよりも、たくさんの肌の色
のちがう友達をつくって、彼らや彼らの家族、自分の家族たちとのたわ
むれのなかで、なにかおもしろいと感じたものがあったときに、その夜
おふとんに入ってから、明日はどうやって今日と違った攻めをして、ま
たは防御してやろうか、と懸命に知恵を働かせているうちに、すやすや
と寝に入ってくれれば十分だ。明日も元気に遊んでくれ。
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