12/09/2007

A Busker

9月から生みの苦しみにもがき続けてきた。毎度のことだが特に最
初の数週間は暗中模索、一つ問題を解決すると新たな三つの難題が
ふりかかる毎日が続く。赤子のことではない。当社の新しいシステ
ムが昨日ようやく誕生を迎えた。
プログラマと呼ばれる人たちは多少のぶれはあるものの、ほぼ10
年に一度、これまでの仕事を否定されるような愕然とするイベント
を乗り越えなければならない。開発の環境ががらっと変わってしま
うのである。僕の場合、80年代にZ80アセンブラという言語を勉
強しC言語をマスターした。90年代にはMFCという環境で Windows
で動作するプログラムを作った。当時 Microsoftは COM だのCOM+
だの、恐ろしく複雑な開発環境をプログラマに強要していた時代で
あり、その難解さは極まっていた。そしてその流れををせせら笑う
がごとくJavaという優れた環境が登場した。相当数のプログラマた
ちはこれに走った。Microsoftは焦った。そして.NET Frameworkと
いうJavaに対抗する開発環境を作った。僕にとっては最後の10年
毎のイヴェントになるかもしれないが、今回はこの.NETに取り組ん
だ。その開発環境はすばらしい。とはいえプログラマが新しい環境
に取り組むときの苦しみは避けられるべくもなく、昼夜、夢の中ま
で難題に取りくむ毎日が続くのである。これを労働と呼べば僕のこ
の3ヶ月の労働時間は週100時間近くであったろう、まるで日本
にいるようである。
そして、ある日突然全ての苦しみが終わる。体が軽く感じ、新しい
機能の追加なんぞはささーっと作れてしまうこのオブジェクト指向
環境の素晴らしさをマスターしたぞという達成感にプログラマはシ
ャンペンを開けたくなる。
というわけで、ここ数ヶ月、社員や友人達には付き合いの悪いおっ
さんであったが、これをお詫びして平にご容赦いただきたい。赤子
面倒をみているのだろうと思われてたかもしれないが、僕にそのよ
うなことが出来るはずもなく、そのことは同居人が一番知っている
ようでもある。
とはいえ軽くなった体で赤子を登録するという作業はこなしてきた。
日本人が英国で生まれるという特殊性の為、同じような作業を2度
行わねばならない。英国への登録は、簡単な質疑応答で10分で終
了した。日本国への登録は、2通の同じフォームを2種類、更にも
う一枚。本籍なんぞ覚えていないわ、今年が平成何年なのかも知ら
ぬ。そして僕の住所は英国ロンドン市南西15区セントジョンズ通
りなのだそうである、なんのことだろう。赤子の名前は漢字でどう
書くんだっけ。我ながら、このオッサンはいったい何人なのだろう
か、珍しいやっちゃなあ、と思いつつ1時間フォームと格闘し漸く
作業が終わった。
大使館と同じ地下鉄にあるハロッズへ向った。17年間の英国生活
でこれで2度目だ。以前も書いたが僕はこういう環境でぶらぶらで
きないアレルギー体質のようであり、素早く用を足したい。たまた
ま入ったところにインターナショナルインフォメーションがあり、
日本語でどうぞと書かれておる。バウチャーはどこで買えますかと
聞くと地下一階だという。地下一階を歩きまわったが訳が分からん。
たまらずそのへんの店員に聞くと、金額は幾らだという。これこれ
ポンドが何枚というと、それは5階のファイナンシャルサービスへ
行けという。5階といっても広うござんす。漸くたどり着いたらま
さに銀行の窓口だった。化け物のようなデパートだ。アレルギーが
出る前に地下鉄に向ったら、なにか懐かしい音がかすかに聞こえて
きた。エレベーターが降りていくとそれはスキヤキソング、上を向
いてあるこうよ、ではないか。更に近づくと、日本人の若い女性の
バスカーであった。ギターをかかえて、帽子をちょいと被った、気
のよさそうな娘が、その素敵なよく通る声で若干テンポを遅めにし
て歌っていたのであった。思わずポケットを探って一声かけたら、
素敵な笑顔の礼が返って来た。安易なバイトに走る娘もいれば、こ
うして、まあ金目的ではないのだろうが、外国の地で芸を磨こうと
する娘もおる。
彼女はその日朝起きて、今日はやったろうかあと思い、歯を磨き
ながらレパートリから数曲選び、帽子も選び、そしてギターを抱え
てKnights Bridge駅へ向ったのであろうか。世の中の全てを肯定し
たくなるような平和な一日であった。

11/18/2007

Joseph Oliver Yoshida

その暗闇で親にも分からぬやむにやまれぬ事情があったのだろう。
この肉塊は予定より7週間早く、11月6日に世に出た。医者も母
親本人も父親も誰も、母親のおなかの痛みをデリバリーだとは思わ
ず、感染かなにかだと思っていた。父親はその人生で初めて999
に電話した。
あまりに小さな肉塊。覚悟を必要とした。病院の同居人からの突然
の電話が怖い数日が続いた。さいわい、かかってくる電話はすべて
穏やかなものだった。そして2週間が経過しようとしている。医者
はそろそろ家にと仰っているそうだ。ありがたすぎて、世の神仏の
全てに頭を下げたい。
 なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

11/11/2007

British Rock

英国にLed Zeppelin という奇跡のバンドがあった。少年吉田が彼
らの音に初めて接したのは、すでに4枚目のアルバムの露払い曲で
あるBlack Dog がラジオから流れた時だった。確か11歳だったと
思うが、その大人の味がするブリティッシュ・ロックに強く強く惹
かれた。ギターを弾きたいと思った。雑多な洋楽を手にし始めた時
期であり、その後もあれこれ物色していたが、彼らとの衝撃的な再
会は、その解散間際のアルバム、Presenceという作品だった。これ
も露払いであるがAchilles Last Stand という10分26秒の大作は、
15歳の少年を音楽的別次元に運んでくれた。それから30余年を
過ぎたオヤジをいまだに陶酔させてくれるだけの力をこの不思議な
曲は持っている。Zepのデビューアルバムの露払いは Good
times, bad times という曲だが、これも凄い。60年代後半の当
時、これで腰を抜かした若者が山程おったであろうなア。アルバム
の露払い曲は最も重要なのである。人をして外国の地まで運んでし
まうだけの強い影響力を持つのであろう。
ZepはドラムのJohn氏の他界を直接原因として解散となった。何し
ろ、奇跡のような4名が集まって10年活動したバンドであり、一
人とて欠けてはZepは存在しない。来月、Jon氏の子息がドラムを担
当してロンドンでコンサートがあるそうだ。勿論 ticket のアプラ
イをしたが、とくに大きな期待はしてはいない。同窓会のようなも
のであろう。無論当たっては欲しいが

10/28/2007

Win X

カラオケで歌うという機会はめっきり減ったが、たまには楽しいね。
以前も述べたが、芸の無い僕は大体は松田聖子あたりで露払いし
た後はひたすらもりたて役、その後は酒かウェイトレスとじゃれあ
うのが常だが、隣席ではマイクを離さないまでも、店を去るまで歌
のメニューを離さない方も割りと多い。こういう方達は、まずカラ
オケが上手である。聞いたことも無い新しそうな歌を上手に歌われ
るので、うらやましいなアと思う。
僕の友人にG君という英国人がいる。僕より一回りほど若い彼はご
両親がどちらも大陸生まれであり、某国系二世とでも呼べようか。
実に天真爛漫、愛すべき超明るい大陸系G君なのである。僕がロン
ドンに渡って1,2年も過ぎたころ、彼とは週に3度はパブで一緒
に飲んだであろうか、僕にとっては英語の大先生である。英語を学
ぶに際して羞恥心をいかに克服するかは重大な課題である。パブは
羞恥心を酒と共にかき消してくれるし、英語での話し相手が日本人
でない時は、旅の恥書き捨て的な軽さを伴い、グラマーなんぞは忘
れてぺらぺら喋れるものだ。これは貴重な勉強となる。いつぞや、
flu が流行った時、僕は furu としか発音できず、大いに彼に笑わ
れ、その後パブ客のほぼ全員が店員も交えて furu の大合唱となり
笑の的になったことがある。不名誉ではあるが、楽しい思い出であ
る。
G君とはそんなこんなで、彼の母国に一緒に旅行したし、日本にも
一緒に行って僕の函館の実家にも滞在してもらって、英語を話せな
い両親を笑わせてから、京都や四国にも共に足をのばした。東京に
行けば行ったで、人気者の彼のもとには、以前ロンドンで一緒に仕
事をしていた仲間達がなんやかんやと集まる。そしてカラオケが始
まる。普通はひたすら酒と喋りになるのだろうが、G君の凄いとこ
ろは、知りもしない日本演歌の旋律を器用にものにし、しかし日本
語はできないので、唯一知っている”いち、にいー、さんー、しいー”
をひたすら続けながら演歌を熱演するのである。これは文字では表
すことはむつかしい。仲間は抱腹八倒、笑いから回復するのに30
分は要するという、物凄い瞬芸を披露してくれるのであった。曲は
演歌なら何でもよいのであろうが、みちのく一人旅、だった。山本
譲二さんの曲であろうが、G君と名前が同じところがいとおかし。

10/10/2007

Q4 has started

いやはや、大分サボりました、申し訳が立ちません、ごめんなさい。
さてさて、この間にも色々な事がありました。
[テニス]
フォアに迷いあり。もともと下手なバックには惑い無く、意外と良
い球が返ります。ティピカルな脱初心者問題にはまっています。
[赤ん坊]
我が第一子がクリスマスに誕生予定だそうな、ひゃア。無事育って
くれて20歳になったとき僕が66歳かと思うとゾッとしますし、
それまで生きているかいな。否、20歳まで金だけではなくて精神
教育すべきは、勝手に赤ん坊作った親の責任でありましょうぞ。と
まあ偉そうなこたー抜きにして、一層の健康管理だなあ、そろそろ
まじめに酒をなんとかしよう。
[ストライキ]
この前時代的な催し物は、UKでは今でもさして珍しいことではなく
て、毎年平気で地下鉄が止まりますね。今夏は二日間ほどやられま
したが、僕の場合、ストの影響の無い国鉄駅まで電車で移動し、そ
こからオフィスまで徒歩で50分程かかることを2度観測しました。
観測には少々汗をかきましたが、健康には良いですね。ユニオンの
皆さんありがとう。あまり参考にはならないと思いますが、僕の場
合、雇われ人であった40歳まで、一度も待遇に文句を言ったこと
はありませんし、それを言う前に静かに転職してきましたので、心
の健康はそこそこでしたし、まして経営者になった今は文句を言え
る対象が存在しません。
[ Liverpool Street Station近辺の文化]
年中道路工事。車の混み様は東京より酷いかも。浮浪者は当オフィ
スビルの喫煙コーナーに、今年は既に2度、茶色のお土産を置いて
いきましたが、これを朝一番に発見せざるを得ないときは、いつも
おぞましい気持ちになります。煙草をくれといわれて、Noと断わる
と、大体はおまえはセコイだの、なんだの、逆攻撃されます。毎年 Rates
という相当なお金を払ってこの場所にいるのに、なんだか理不尽だ
と思います。Kings Cross あたりは90年代に大分浄化されたようで
すが、L市長さんこちらもよろしくね。
[マドリン事件]
これはどうにも自業自得。自己責任・自己解決、がベースのUKな
のに、これだけUKメディアに取り上げられるのはベースが変わって
きているのかなあ。僕はUKの大人ベース文化が好みなので、大分残
念。
[経営]
うまく廻して頂いているので、安心して部下に浮世の商売を任せて
います。システマティックにやってきたつもりですが、やはりがむ
しゃらの6年間だったことは否めず、最近の僕の主な仕事は、僕が
やってきた、がむしゃらdirty仕事のクリーンナップです。自己責任
・自己解決。ビジネスのオブジェクツを洗いなおして、クラス化し、
データ化する、という構造化志向プログラマ的アプローチに没頭し
ています。少なくとも3年後には、この数週間の仕事が会社に貢献
することを確信しつつ。
[反省]
僕のここでのblogは専門的すぎて、分かりにくいと良く言われます。

9/19/2007

Fixed

2週サボった、すんません。急性アルコール中毒になった訳ではご
ざいませんのでご安心を。仕事のせいにするのは良くないが、僕も
たまには仕事に没頭するのである。本当です。
それはまあいいが、US Openは、なかなか見物だった。順当といえ
ばその通りの結果になった。フェデラーさんはあと2,3回は行け
るだろうが、Justineはどうだろう。今回も見事優勝し、彼女が磨
いてきた技の数々の全てを見せてくれたような試合が多かった。さ
てあと何度このプレーを見ることができるだろう。これだけ華麗な
テニスを披露してくれている彼女の引退が今から惜しくてたまらな
い。余計なお世話だろうが、どうにも今のプレーがあまりに華麗な
だけに、見れなくなる日の来るのが今からとても悲しい。
ちょいと前にノッティングヒルのカーニバルというのに同居人にせ
がまれ、のこのこ出かけてみた。これには腰が抜けたわイ。ヨーロッ
パ最大のカーニバルとか聞いていたが、なんなのだろう。函館のイ
カ踊りの方が数段ノリが良いのではないだろうか。まして本場の阿
波踊りを数年前にタップリ実見した僕にはあまりのノリとオーガナ
イズの悪さに直ぐに帰りたくなった。毎年こんなもんなの?なぜ'
連'の間が30分も空くのだろう、安全の為かな?確かに相当な人
たちも集まっているので、あまりノせすぎると、やばいのかもしれ
ない。それにしても。
ここの編集長のあれんじで、子豚の丸焼きを喰う会、というのに参
加した。お店はファーリントン駅からすぐの、天井が高くてシンプ
ルな僕の好みの内装だったが、子豚が出てきたときは、人間の赤ん
坊の似ているなあと思って、ちと腰が引けた。でも美味しくて沢山
の人が参加されていて楽しかった。またいつかお願いします。
今日は、というか金曜からお客様のシステムに障害がでて、漸くF
IXが先ほど完成した。頭がうに状態なので、とりあえず近況報告
ということでご勘弁ください。

8/28/2007

A sad man

僕のふりをした男は夜中の12時ちょっと前に実家に電話をかけて
きたそうである。函館の母親が眠い目で電話に出ると、風邪を引い
てオレは最近調子悪いんだという。あんた、ロンドンは寒いのと聞
くと、今年はロンドン寒いんだよと言ふ。あれこれ心配して話を進
めると、最近男性機能が動作せず、医者にも見てもらったがどうに
も駄目で困っているという。話を聞いているうちに、話題がおかし
くなり、更に男の性的興奮が高まり鼻息が荒くなり、あまりのこと
に僕の母親は頭痛が始まって電話を切ったそうだ。その後、眠れな
い一夜を過ごしたことは間違いないだろう。
結果から言うと、いたずら電話である。最初はオレオレ詐欺かと思っ
たが、そうでもないらしい。翌日、母親に電話をもらった僕と同居
人は、最初何のことだかさっぱりわからず目が点になった。
というのは、僕の両親が二人ともすっかり騙され、翌日まで僕から
の電話だと信じて疑わず、息子は頭がどうかしてしまったア、困っ
たアと、一晩心を痛めていたらしい。
わりと信用されてねえよなア、と同居人と苦笑いしつつ、婆さんを
相手にしてまでも自己の性的欲求を達成したいと欲し、かつ行動に
結びつけてしまう、この幼稚な男のバットを、本物のバットで潰れ
るまでへし折ってやりたい気分である。
その後暫く、僕はこの男のことをつらつらと考えてしまった。東京
に住んでいるのであろうか。一人暮らしなのであろうことは濃厚で
あるが、低い可能性ではあるが結婚しているのかもしれない。昼間
は紳士な会社員で女性にも多少もてるかもしれないし、まったく女
性に相手にされない男性としての魅力が皆無に近い男なのかもしれ
ない。今回のいたずら電話には、相当”慣れ”が見える。過去にも
最低、数回の履歴があるのだろう。この先、この男はいったい何度
このような行為を繰り返すのであろうか。この、他人を不幸な、い
や~な気持ちにさせる趣味を、自らターミネートすることができる
イヴェントはどのようなものになるだろうか、最終的には警察やソ
シアルワーカーの助けが必要になるのだろうか。
先週、タマタマ健康診断を受けた。生命保険に入る際の条件であり、
気の毒にも僕のGP(かかりつけ医)は、僕のパンツを下ろしてその
あたりをつぶさに観察するという義務を生命保険会社から機械的に
指示されていたようだ。これは観察される方も、ものすごくこっぱ
ずかしいが、まったく先生の方が気の毒である。何度かおもわず
sorry と小声で呟いたが、やさしい医者で、向こうも sorry と何
度か言ってくれた。
健康な男同士の会話は、通常このようなやりとりになるはずであろ
う。

8/19/2007

Roulette

古い表現だろうが、飲む、打つ、買う、というのがある。今日は、
打つ、の分野に属するカジノに関して。
僕は浅田次郎さんの小説のファンであるが、氏は競馬のプロである。
長年続けて勝っておられる。こういう方はプロのプロでも珍しく、
ほんの一握りのプロだけである。その希少な方が、競馬とは必ず負
けるものだ、と断言されている。まちがいはないだろう。
僕はロンドンや大陸のあちこちのカジノで結構な期間遊び、賭け方
のメソドロジーもそれなりに研究してみた。その後、勝てるはずが
ないことを悟って卒業した、という訳ではなく、時間と金を使って
その行為を楽しみ苦しみ、もうええわ、というところで卒業した。
勝つこともあった。数時間勝負で、ちょっとした車を買える位の馬
鹿勝ちをしたこともある。しかし、結局負けるのである。その時間
軸が長いほど、必ず結果的には負ける。勝とうと思って行くべきと
ころでは無いのだ。負けるのだけど楽しい、のが健康的なカジノ屋
さんの楽しみ方である。
ルーレットを例に取ってみよう。英国の場合、盤に0から36の数
字が並んでいる。ルーレットを回して白玉を投げ、玉が落ちた数字
が当たりとなる。当たりの確立はシンプルに 1/37 である。仮に1
ポンドのチップを全ての数字に置いてみよう。37枚(ポンド)の
うち、必ず1枚が当たりとなる。当たればなんでも嬉しい。しかし、
配当されるのは35枚(ポンド)なのである。2ポンドの負け。カ
ジノという大元は 2/37、会計的に言うと 5.4% を荒利として商売
しているのである。普通の商売では成り立たない程の低い荒利率で
ある。
カジノが良心的な博打屋であることが分かるだろう。賭ける方から
見れば、94.6%という高勝率なのである。これは競馬やロンドン市
内に多数存在する賭け屋に比べて異常に高い還元率である。ルーレッ
トというと、なにかディーラーが技を使ってかけた数字を外すと信
じている方もいらっしゃるようだが、近代のカジノでそういう商法
を取れば、一週間で客は寄り付かなくなるし、大体そのディーラー
は初日で首になる。ディーラーには、とにかく数字をばら撒くこと、
ランダム性を指導する。
これほど高い勝率なのに、なぜこんなに負けるのか。それはヒトの
心理とか色々あるが、確実なことは、大元が5.4%という微妙な数字
を、荒利として設定して、確実に儲けるからである。確立とは、サ
ンプル数が多いほど計算どおりになる。カジノの場合、サンプル数
は一日の売上げ(客が幾ら使ったか)と、何日間営業したかの掛け
算となる。新装開店のカジノの初日は、もしかして赤字になるかも
しれない。しかし、何日も営業を続ければ、ルーレット台からの荒利
率は5.4%に限りなく近づくのである。
前述したように、5.4%という荒利率は、可哀想な位、商売としては低
い。ここからディーラーに出す給料や設備投資を捻出しなければな
らない。カジノ経営者達の最大のミッションは売上げを伸ばすこと
だ。他の商売と違って、売上げが伸びれば確実にその5.4%の荒利が
出ることがわかっているから、イベントを企画したり、頻繁に内装
工事を行ったりと、客の引き込みに必死なのだ。ディーラーによる
操作の教育なんぞやっている暇は無いのだ。
さて、ここ数年の僕の博打道は、年収の1%を年に1度か2度どば
っとカジノで賭けてみる、というものである。素敵な女性に同行し
て頂くと、大半は初めてという方が多いので、ビギナーズラックが
期待できて更に楽しい。そしてカジノというあの独特の雰囲気とカ
クテルなんぞをお楽しみ頂き、儲けたら利益折半、負けたらそれま
でである。今年は既に2度通い、一度目はちょいと負けた。2度目
は結構勝った。折半利益は僕の同居人の懐に収まった。ラッキーな
奴だ。

8/12/2007

茫洋

本日、日曜午前の初級テニス会が終わったら、午後は東京から遊
びに来る友人をヒースロー空港にてピックアップし、軽い夕食を皆
で共にするつもりでいた。この友人は以前テニス会で仲良くしてい
ただいた方でもあり、食事はどこにしようか、とテニス仲間に切り
出したら、吉田さん、それって来週末のことですよねえ、と言われ
て良く考えたらそうだった。あぶね、延々とLHRでひとり待ちぼ
うけ喰らうところだった。
金曜日もそうだった。同居人が病院で定期検査があり、てっきり1
0時半だと(前回がそうだったので)思って予定を組み立てていた
が、実は午後2時からだった。午後からは出張が入っていたので、
同行できなかった、わりいわりい。
会う人が多くなったこともあるが、それにしても人様の顔が思い出
せなくなってきた。名刺を眺めても顔が浮かばないことが頻発する
ようになった。会合などで、久しげに挨拶されても、にやにやして、
いやーその後お元気ですか、などととりあえず場をとりつくる自分
は困ったものだと思う。
もともと切れの悪い頭がどうも年を重ねると共にさらに悪くなって
きた。更に、先祖のせいにするのは申し訳ないと多少思うが、O型
の良い加減な性格がより顕著に現れてきたように思う。
若い頭脳にはどうしても敵わないことが増えてくる。敵わないもの
は、任せるべきで、無理やり自分でやるのは年寄りの冷や水と呼ば
れる。おっさんは、その長い経験から築いた危険予知能力や第六感
が必要とされるところで仕事すればよいのだろう。本人はなはだ不
本意ではあるが是非もなし。分相応。
ここまで書いて僕は煙草を吸いに外にでた。と、なんと向かいのフ
ラットの入り口でお爺ちゃんがボコッと倒れているではないか。こ
らあかん、と思い小走りに寄ったら、我がフラットの隣から、真っ
赤なシャツを着た若者が脱兎のごとく駆け寄って、お爺ちゃんをい
ち早く抱きかかえた。幸い大事は無かったようで、よかった。爺ちゃ
ん腕をちょっとすりむいていた様だが、事なきを確認したら、若者
はささっと自分のフラットに帰っていった。スーパーマンのような
野郎だと思った。当社にCV送ってきてくれないだろうか。
やはり敵わないなあ、このスピード、勢い、身から自然にでる義務
感。自分は若者のときどんなんだったろう、と回顧するような年齢
になってしまった。

8/08/2007

Solution

漸くロンドンが暑くなった。とはいっても30度をヒットすることは
なく、昔のような、おとなしいロンドンの夏、である。
7月下旬には大雨が何度も降って、イギリス西部やウェールズで洪水
となり被害が出たが、僕がホリデーから帰ってきたその日の午前中に
も大雨だったそうで、ガトウィック空港からパットニーの自宅まで、
2時間強のドライブをさせられた。なにしろガソリンを喰う車なので、
渋滞中にガス欠になったらカッコわりいなあ、と心配になる。
ところで、今のバイクには燃料残量計がついているのだろうか。僕
が乗ってた昔のバイク達には、無論そのようなものは装備されてお
らず、タンクをパシッとビンタしたときの音や、注入口の蓋を開け
て、ちょっとバイクを傾げたりして残りの量を確認していた。更に、
燃料の蛇口のようなレバーがどのバイクにも装備されていて、Main,
Off, Reserve というオプションがあった。通常は Main にて走り、
ガソリンが切れるとエンジンがボコボコッと切れそうになる。その
刹那にクラッチを切り、片手でレバーをReserveにひねり予備タン
クに切り替えアクセルを吹かす。エンジンが切れてしまったら、慣性
でそのまま押しがけ始動し、予備タンクのガソリンで、なるべく早
くスタンドに駆け込む、という技を覚えるといっぱしのバイク乗り
というものだ。タンク内部に仕切りがある、という実に簡単な仕掛
けなのだが、とても賢いと思う。
ちなみに、初めてバイクとそのメカに興味を持った少年の頃、バイク
雑誌によくでてくる、この”リザーブ”という単語が何のことかわか
らず、多分ガソリンが切れたら、サントリーのリザーブをタンクに注
入し、このレバーを Reserveに倒すと、混合比か何かが変わって、や
やも暫く走れるのだろう、と本気で思っていた。あっはっは。笑い
ついでにもう一つ思い出した。
初めて手にしたバイクは、カワサキのTR250というバイクで、多分函
館には僕の所有する一台しか存在しなかったであろう、珍しいマイナー
なものであった。そもそもカワサキの小売店が函館では一件しか無か
った。パーツの入手は、いちいち取り寄せとなり、たいそう時間が
かかった。
ある日、(あ、まさか食事しながらこれをお読みの方は居ないでしょ
うね)バイク雑誌で勉強した”チェーンを煮る”という整備をやって
みたくてたまらなくなった。まずはチェーンを外さねばならない。チェー
ンというのは、蛇が自分の尻尾を咥えているような按配になっており、
口と尻尾のところは、クリップ金具を挟んで連結するシカケになって
いる。これをカチッと外して、ガソリンとワイヤーブラシでチェーン
をきれいに洗い、その後、粘度が重めのエンジンオイルを空き缶に入
れ、下から弱火で暖め、暫くチェーンを寝かしておく。これでチェー
ン全体にきれいな油が行き渡り、その後のライドがとても気持ちいい、
というのである。ほら、どうにもやってみたくなるでしょう?
そしてチェーンを煮終わった。オイルというのは、勝手に下水や土に
流し込んだりしてはいけない。ガソリンスタンドに持って行き処理し
てもらうのが正しい方法なのだが、肥溜めに流しちゃえばいいじゃな
いか、しめしめ、とこずるい発想に自己満足した。この慢心が事故
を招いた。クリップも一緒に煮ていた事をすっかり忘れ、オイルと
一緒に肥溜めに捨ててしまったのだ。さあどうしよう。
紅顔の吉田少年、熟考一番、磁石を思いついた。兄がバイク好きであ
ったので、吉田家のガレージにはガラクタがいろいろあった。物色し
ていると、フライホイールが目に付いた。これだ。少年は、磁石に針
金を取り付け、息を止めながら愛する家族全員のブツが鎮座する肥溜
めを掃海すること3度目、見事クリップを奪還したのであった。うーん。
ちなみに当時の函館市宮前町に水洗という文化は到来しておらず、ど
この家も汲み取り式であった。今からちょうど20年前の夏の盛りの
こと。

7/28/2007

Arbeit

いまだと児童保護法かなんかでパクられるかもしれないが、僕は小
学4年生の時に、仕事をして対価を得るという楽しみを覚えた。当
時はこのあたり、おおらかだったのだろうが、さすがにおおっぴら
にはできないので、新聞配達の中学生か高校生の兄ちゃんの子分に
してもらい、集配所に入ってひたすらチラシの折込をする、という
バイトを続けた。対価は忘れたが、驚くほど安かったと思う。それ
でも小学生には大きな魅力であった。中学に入ると部活動を始めた
が永続きせず、結局その新聞配達集配所に戻り、こちらの方がはる
かに長くなった。毎日1時間強、重い新聞を120件程配達して、
月収が3,4千円だったと記憶している。田舎の中学生には、こん
な割の合わないバイトしか選択肢がなかった。今でも風邪などをひ
いて多少熱がでると、夢の中で、どの家に配達してどの家に配達し
てはいけないのか判断がつかず、汗をかくあたりで目が覚めて、あー
夢でよかったとなる。
以来、様々なアルバイトで稼いだ。高校生、というか僕は高専とい
う毛色の変わった学校へ行ったのだが、普段はサッカーとバンドで
忙しくバイトが出来ない。夏や冬の休暇中に稼ぐことになる。
XXコーラのルート・セールスのトラックに乗りこみ小売店を訪ね、
1ダースの木箱を4つ同時に持って移動する術を覚えたのは嬉しか
ったが、これは体力的・時間的に大変きつく、僕の中では今でもこ
の会社はバイトをこき使うNo1に位置している。日給3,500円。
旧国鉄の設備保守のバイトを近所のオジサンのコネで貰ったが、実
際には仕事が無い。精々列車の車軸に紙やすりを当てる程度。昼に
弁当食べて夕方風呂に入って帰ってくるようなものである。すなわ
ち単なる員数合わせなのである。組織体質がそうだったのか組合が
強かったのか知らんが、そういう社会の一面も見させてもらった。
これは一日3千円位だったろうか。
北海道らしいバイトとしては、当時活躍していた青函連絡船のキッ
チンがある。キ**クが雇用主であり、社員腕章を貰うと、青函連
絡船に自由に乗り降りできる(これはバイトをやめてからも暫く役
に立った)。往復で10時間の間に、レストランが6時間程開店し
ている。この間に皿を洗う、グラスを磨く、子供のゲロを処理する
というものである。この往復を1日に2回行う時と、3回行うとき
がある。3往復だと30時間となるわけで、当然仮眠はするものの、
さすがに陸が恋しくなる。そして、今でも謎だが、2回往復しても
3回往復しても、なぜか対価は5,800円固定なのであった。
更に北海道らしいのは芋掘りだろうか。これはカ*ビーが雇い主で
あったが、冷夏にてジャガイモの確保が難しかった年である。学生
バイトを雇って農協・農家に無料で送りこむ見返りに、ジャガイモ
の供給を確保するものであった。朝5時半にバイクに乗り、集合場
所の農協・事務所へ向う。ここでランダムに行き先の農家が決めら
れ車に押し込まれる。慣れてくると場所もわかって農家にバイクを
飛ばす。そして朝6時から夜6時まで、ひたすら芋を拾うのである。
日給6千円、すげえバイトだったなあ。我々の掘った芋が、ひそか
に農協以外に向けて出荷されていったのを目撃したこともある。し
たたかなものだなあと思った。
函館は港町ということで、倉庫商売も盛んだ。マイナス20度の冷
凍庫に入って、烏賊の冷凍塊を入出させる。寒いなんてもんじゃな
いが、その1時間後には外に出て、今度はトラックの荷台の中で大
汗かいて作業する。2週間も続けただろうか、とうとう風邪ひいて
ぶっ倒れた。さすがに親に、このバイトだけはやめてくれろ、と言
われたのでやめといた。
その他、場末のスナックでキャンディーズを演奏させられたり、こ
こには書けない数々のバイトもこなしたが、学生生活も終りに近づ
くと、多少知恵が出てくるものである。
僕のバイト人生はパチンコ屋で完結する。高専も卒業年になると自
由時間が多い。いや、本来は卒業研究に没頭することになっている
のだが、勘違いしてパチンコに没頭した。平日の朝から晩まで、毎
日同じパチンコ屋に通えば、当時のパチンコ屋のシカケだと、どう
しても勝ってしまうのだ。今はデジタルやら777とかなんとか、
店のコントロールが強いのだろうが、当時は毎日通って多少の予知
能力があれば大体勝てるのであった。万単位で勝つこともあった。
こうして平日はパチンコ屋に通い、気が向けば学校にタクシーで通
い、週末は優雅にバイクと遊ぶ(週末は素人衆が多く商売しずらい)。
今思えば夢のような学生生活の日々が過ぎ、卒業し、東京に出て社
会人となり、初めて手にした月給は、パチンコ人生の2週間分程度
のものであった。

7/21/2007

Smoking Ban

吸う人も吸わない人もご存知であろうが、英国では7月1日に
Smoking Banが施行となった。
イタリアやアイルランドでは昨年に施行を終えており、いつかは来
ると思っていたが、本当に来てしまった。僕はタバコを嗜む、なん
てえもんじゃなくて、言ってしまえば女房役のようなものである。
例えば物事を考えたり作ったりするとき、熟考一番、ひらめいたも
のを文章や図面にするなりプログラム言語に表現し推敲する。もう
良いぞ、というところでライターをカチッとつけ一服、頭を冷やし
てからまた次のステップに進む、という作業を20数年続けてきた。
アイスクリームで言えばウエハー役である。僕に何らかの仕事上の
作品があったとすれば、それは全てタバコと共に創作してきたもの
である。なので、10年前にオフィスでタバコが吸えなくなった時に
は驚いた。そんな環境で仕事なんて出来るのだろうかと思ったが、
当時は喫煙部屋を作ってくれたり、ビルの外に出て一服、なんとか
その習慣に切り替えた。それでも週末に自宅のPCの前に陣取って、
タバコを燻らせながら進める仕事効率の抜群の良さは否めなかった。
今回は、公衆の集まる場所からの全面禁煙である。レストランは良
い。これは明らかに人様に迷惑のかかる場であり、文句を言うほう
が無理であろう。しかしパブは困る。パブは、喰うという人間の原
始的、生理的欲求を満たす為のレストランとは明らかに違う場であ
り、もっと高尚な場なのである。難しい仕事の話もたまにはするし、
どうやって人を笑わせるか常に考えているし、大変に知的な場なの
である。こういう知的作業が必要な場からタバコを法律で追い出す
のは実に情け容赦の無い殿様のやることであり、これを決めた奉行
たちはきっと良い死に方はせんだろう。英国では施行にあたって様
々な案があった。例えば、食事を出すパブとそうでないパブに仕分
けし、後者はオーナーの一存で禁煙・喫煙が決められる、という英
国人らしい処理案があった。メンバー制のクラブでは、メンバーの
同意で喫煙OKにするという、これまた英国らしい処理法も意見さ
れた。結局は全て却下、全面禁煙となったのである。90年前半に道
路にスピードカメラが取り付けられ始めたとき、英国文化の良さが
また一つ消滅したと残念に思ったが、同様の感がある。
更に追い討ちをかけるように、我が家も7月1日からSmoking Banが
施行された。これには驚愕した。そんなことは全く考えていなかっ
たので一瞬頭が白紙になった。禁煙奉行は無論同居人であり、猛烈
な抗議を試みた。せめて2nd bed room で、と小さな声で最後の抗
議を試みるも一蹴、かくて我が家は全面禁煙となり、英国的良質文
化がまたひとつ消滅したのである。これを決めた人はきっと・・・や
めとこ;
ところで私の顔は真っ黒である。いや、タバコのヤニではなく、一
週間のビーチ・ホリデーの結果である(先週の投稿さぼりました、
ごめんなさい)。もともと地黒であり、更に日焼けしやすく、かつ
また赤くならずに当日そのまま黒くなる、という函館人にも相当珍
しい特異な体質なので、ちょっと日本人に見えなくなってしまった。
そんな顔が真っ黒の白髪のオヤジが自宅の前のストリートでぶらぶ
らタバコを吸っていると、通行人が嫌がる、いや、嫌がっているよ
うに僕が感じる。
ということで、大変肩身の狭い寂しい思いをしておる。いっそのこ
と止めてしまえと人は言う。言わば言え、30年も連れ添った女房役
をそう簡単には捨てらんわい。

7/07/2007

Freelander

僕の父親は国語の教諭をしていた。いわゆる文系であるが、当時ワー
プロを仕事に取り入れたり、今でもそこそこパソコンを使いこなしており、
多少は技術っ気があるのかもしれない。僕は根っからの技術系なの
だと思う。結局電気屋になったが、機械屋になってもいいかなと思
う時期があった。
中学に入って自転車に興味を持った。サイクリスト?名前は忘れた
が月間雑誌をせっせと読み、新聞配達で稼いだ金をパーツにつぎ込
み、親に買ってもらったごくふつうの黒い自転車が、見た目は軽快
なイエローのスポーツタイプに変身した。高校では無論バイクにな
る。今時のバイクはコンピューター制御されているのであろうが、
昔は機械のみの塊であり、そこそこ単純なもので、少年の技術心を
十分に満足させてくれた。
カワサキのTR250というオフロード・バイクのエンジンをばらばら
にしてシリンダーヘッドを磨いたりして楽しんだ。このバイクは月
に一度はポイントを磨いてタイミングをとってあげないと機嫌が悪
くなるしろものであったし、ケッチンがひどく何度も足に痣を作っ
た。機嫌がよいとその加速はすばらしいものがあった。可愛いバイ
クだった。その後ホンダの良心と呼ばれた CB 400 Fourという素敵
なバイクが愛機となった。函館から1時間弱で大沼公園という観光
場所に着くが、ここの湖畔が格好の私レース場となった。今思えば
実に危なっかしいことをしていたもんだが、していないよりはよかっ
たと今思う。男の子はなんでも体験すべきだ。
自動車の免許をとったあたりから、機械熱はさめ、ただの乗り物に
なってきた。とはいえ今でも車の運転は好きなほうだろう。何時間
乗っていても苦にならないし、天気がよいとドライブも良いもんだ
なあと思う。
何度かこのブログに登場した真っ赤のアウディーがとうとう我が家
を去った。10年以上も僕に付き合ってくれたんだから、写真ぐらい
撮っておけばよかったかと多少後悔している。そして我が家に新た
に登場したのは、濃紺のランドローバーである。このような高い
(値段ではない、車高のこと)車に乗るなんて思ってもいなかった
が、車好きの社員が最近新車に乗り換え、売りに出ているところを、
さっと買ったものだ。社員の中古を社長が買うのは変人だという声
もあるが、そんなことには僕はまったく頓着しない。僕が尊敬する
伊藤忠会長の丹羽さんは、社長時代にも電車通勤し、マイカーはカ
ローラだったそうな。あっはっは、あっぱれ社長。
この車は少なくとも7、8年程度は動いてくれるだろう。実に安く
売ってくれて、ありがたいと思う。動けば良いと思っていたが、乗
ってみると、とっても楽しい車なのに気付いた。 Free Lander と
いう車だそうだが、エンジンがなんとV6で2.5リッターという強力
なもので、重い車体なのに加速が大変良い。オートマなんだけども
マニュアル・モードがあったりして、機械心も擽ってくれる。当面
ドライブが楽しくなりそうだが、天は二物を与えず。大食いなのだ。
ペットロールのゲージが目に見えて減る。まあ年に2千マイルも走
らないので良しとしよう。長生きしてくれよオ。

7/03/2007

Transfer pricing

当社グループは4月に再編を行い、東京店が本社・親となり当店は
子となった。これを機会にちょいと勉強してみると、移転価格とい
うものがあることが分かった。
例えば、当社の本社である東京店が営業し、欧州での仕事を100円
で受注したとしよう。ごく当然ながら子会社である当社が実際の仕
事を欧州で担当する。わざわざ当店の競争相手に仕事を与える馬鹿
な親はおらんであろう。
さて当店ではこの仕事を70円で請け負ったとする。即ち東京本店は
30円の荒利となり、当店では売上げ70円からコストを差し引いたも
のが荒利となる。ここで、移転価格という概念では、はたしてこの
70円という請負い金額が、世間一般で取引されている価格とかけ
離れていないかどうかが問題となる。
仮に70円が世間一般と比較して大安売りだとすると、英国の税務
署が文句をつけてくる。もっと高く売れたはずだろう、その”はず”
の数字に対して企業税を払えと。
逆も真なりで、70円が世間相場よりも高かったとすると、今度は日
本の税務署が文句をつけてくる。子会社なので、高く買ってあげて
便宜を図っただろう、ついては高く買った分に対して企業税を払え
と。
上の例のような単純な売買のみならず、”技術”や”知的財産”に
も移転価格が適用される。親会社が開発した技術を使って、海外子
会社が製品を作って販売した場合、日本の税務署は黙っていない。
開発元である東京本社に対して、おまえはタダで技術を子会社に供
与した、ついては子会社がそこから得たであろう予想利益に対して
企業税を払えと。
親が我が子に愛情や教育や生きていくための食料や物資を無償であ
たえることは、ごくあたりまえの行為であろう。動物的な本能とい
える。そこに国家がしゃしゃりでて税金をとるのは何ゆえか。
さらに、移転価格の対象者は、国際的に活躍し既に企業税を各国で
納め、世界的な雇用機会を創造してきた企業であり、すでに十分な
社会的責任を果たしている。何ゆえ更なる税金、しかも世間一般と
いう実にあいまいな数字基準を持ったもので絞り上げる必要がある
のか。基準があまいために、この税務署調査には膨大な時間が費や
され(即ち税金が使われ)、膨大なディスピュートが発生するだろ
う。
僕は今のところ、この仕組みの本質が分かっていないのだろう。偉
い人たちが考えたものであろうから、様々な理由や利便もあるのだ
ろう、誰か教えてやってつかあさい。

6/23/2007

日経ビジネスという雑誌がある。雑誌という性格上やむを得ないが、
調査の掘下げが弱いなあとぶつぶつ思いつつも、なるべく電車で斜
め読み程度はするようにはしている。今週号では、2枚の顔写真が、
別々の記事であったが、対照的だった。一方は、循環取引を続け千
億円水増し世間に叩かれている会長。この方は自ら起業されたが、
50年目にして躓いた。一昔前の悪徳政治家のような写真が載ってい
る。
他方も随分昔に起業しヒット作を何度も世に出てきた食品会社会長
だが、この方は個人で100社以上の優良株を大量に保持する個人投
資家としても有名だそうな。この投資家は株を売ったり買ったりは
せず長く保持するそうで、短期的な投機はしない。ただし、リーズ
ナブルな配当金をしっかり要求する。取締役会にとっては、頼もし
い資金提供者であり、かつ厳しいお目付け役にもなるだろう。理想
的な投資家ではないだろうか。実に良い顔写真が載っている。
どこぞで読んだか忘れたが、リンカーン大統領がどうしても毛嫌い
する政治家が居た。側近が思いあまって意見すると、顔が気に喰わ
ぬと言う。この人格者である閣下が人を顔で判断するは如何かと諫
言すると、40をこえた男は自分の顔に責任を持たねばならぬと。
日頃考えること、心がけること、行動によって男の顔は30代あたり
で変わるという説に僕も同意する。
成田空港の本屋でなにげ手にした本が大当たりだった。ポンティン
グ氏という英国人写真家が明治時代の日本について、大量の写真と
共に書かれたものである。日露戦争に従軍され、奉天に児玉源太郎
陸軍大将を訪問したり、上村彦之丞海軍中将の自宅を訪問したりと、
ポンポンと僕のヒーロー達が登場する。残念ながら彼らの写真は掲
載されていないが、一枚だけ実に印象深い写真がある。
黒木為楨陸軍大将が、ポンティング氏を右に置いて、側近たちをま
じえた記念撮影である。暫く動けなくなった。なぜなら僕の想像力
で描いていた黒木大将の映像ががあまりに矮小なものだったからで
あった。黒木大将が作り出す空気がそこに嗅がれる。風格などとい
う単語は陳腐にさえ感じられる。写真がモノを言う。そしてまた、
大将の周りを固める士官や、ポンティング氏を含めた英国人従軍者
達の顔達がこれまたすごい。
昔の日本には凄い人がなんにんもいた。明治時代に生まれたかった。

6/09/2007

CSR

5、6月は日系企業で海外赴任や帰国が多く発生する時期でもある。
今年も仲良くなりお世話になった数人がご帰国となり、しばしの別
れとなる。寂しい限りである。確かに国際電話があり、インターネッ
トがあり、電子メールがあり、カメラさえある。連絡手段には事欠
かないのだが、それは一枚のハガキの領域をさほど出ない。時間と
空気の共有が格別なのである。給与改定時のどたばたが落ち着いた
と思ったら、当社でも人事のどたばたが始まり、今年も人材の動き
が激しい初夏となった。
ちょいと前までは、企業は人、金、物といわれたが、今流行のCSR
(企業社会責任)風にいうと、社会、経済、環境だそうな。企業は
法人市民として社会責任をまとうせねばならない。ごもっとも。し
かし環境だなんだというのは、当社のような小企業には大上段すぎ
て白々しいし、上場していないので株主なんてどうでも良い。当社
はヒトの年齢でいえば小学6年生あたり。ぶっちゃけたはなし、悪
いことをしないで、真面目に仕事し、出来るだけ金を儲けて、税金
を毎年国家に納め、残りの金で会社を大きくする、のが当社のCSR
だ。
この際、サービス業の当社に最重要なのはヒトである。そのヒトが
一時期に複数出たり入ったりするのは、なかなか賑やかな風景でも
あるがゾッとする瞬間でもある。最近、こんなちんけ会社にも興味
を持ってCV(履歴書)を送ってくる前途有望なヒトが徐々に増え
てきている。聞けば当社のWebページを読んで応募したという。
確かに昨年相当の時間をかけてリクルートのページを書き込んだ。
これはホントにしんどい作業であり、できれば分散したいが、当面
人事のことは僕に執行責任があるだろう。面白いページには、確実
に反応があるのは分かっているのだから。

5/27/2007

Wage

当社社員の収入は、年一度、職責・職能の分析と課長会による多少
の調整で決定する。ボーナスは貢献度に重みを置いている。2年前
に職能分析システムを手作りし、多少の改良を続けている。今年は
4月からアプレーザルと分析を開始し、今月の給料にそれらの結果
を反映した。
毎度の事だが、不機嫌になる社員が出てくる。その顔は変わる場合
もあるし、毎年決まって機嫌が悪くなる社員もいる。気の毒だとも
多少思うが、こちらも真剣に評定を重ねた結果である。
他方、給料が驚くほど増える社員もいるが、こんなに増えて僕は一
体何をやらかしたんだろう、今後どうすれば良いのだろう、と言っ
てくるものは一人もおらんなア。
僕は過去に3度転職している。一度目は当時の収入の低さとそれが
退職するまで続くという予想が一番の理由のように記憶している。
大企業であったし、当時、給料の交渉というのはありえないものだ
と思っていたので、静かに辞めた。2度目は渡英に伴うものであっ
たが、日本で貰っていた給料を当時のレート、260円位、でそのま
まポンドに直したものを頂戴した。ロンドンの物価とTAXの仕組
みを知る方なら、その悲惨な生活に共に涙してくれるだろう。厳し
い英国生活を開始したのであるが、日本を離れてしかできない経験
はカネには変えられない。3度目は今の会社を興した時であり、資
本金を入れた後、無論、数ヶ月間給料なんぞはない。なので、僕の
社員番号は今でも4番である。昨年ついに僕の給料が上がり、名実
共に会社のトップになった。手前のカネが増えたのも多少嬉しいが、
漸くまともなピラミッド組織になってきたのが嬉しかった。
思えば社員達は常に仕事に頭を使い体を使い、更に評定や年収・残
業代に気を配りながら毎日仕事している。大変なものである。でき
うれば、社員全員の後者の部分を取り除いてやりたいが、なかなか
そうも行かない。会社の成績を冷たく分析しながら毅然といくしか
ないのだ。この時期、マキアヴェッリを読み直すのが習慣になって
きた。

5/19/2007

Golf

5月、6月のロンドンは本来すばらしい。今年はなんだってこんな
に暗く湿っぽい日が続くのか恨めしい。
先週末はJCAのゴルフコンペが開催された。第300回ということで、
300ポンドの旅行バウチャー争奪戦となった。あいにく優勝は逃し
たが、小雨しとしとの中、プレーはそこそこ自己満足であった。
そう、僕はとりあえずゴルフをする。するとはいっても腕前は恥ず
かしくてとてもここで書けるようなものではない。なにしろ平均ス
コアは110は超えるだろう(書くなっ)。そのくせ、なんと15
年程のゴルフ暦を持つのだ。僕自身は割と楽しみながらプレーして
いるのだが、どうにもゴルフが僕のことを好きになってくれないら
しい。従って上達の気配すらない。
玉といのはその形状からしても、本来動的なものではないだろうか。
静止している玉を打つという妙なスポーツはゴルフ以外にそう多く
はないと思う。玉突き位しか思い浮かばないが、これも若い頃、ビー
ルを飲みながら朝まで遊んでいたが芽がでなかった。英国のパブに
は玉突き台が置いているところが多いが、最近はちょっと酔うと空
振りさえする。ちなみに僕は玉をひとつずつ親指で弾くパチンコ台
を知るほどの高齢ではないが、小学生の頃にオハジキという遊びが
あって、あれはオフィシャル(あまり周りに馬鹿にされずに)に男
の子と女の子が一緒に遊べるしろものであったが、いまどきの小学
生は知らないだろうね。
当社の若いモンが数人、ゴルフを始めたと聞いた。英国人の二人は
既にコースを廻っているというから、たいしたもんだ。7,8人は
集まりそうなので、今年中に大コンペ(2組・・・)を開催しても
らおうかと思う。入賞者には当社特製ボールペン等、豪華賞品を提
供しよう。仕事仲間が週末にスポーツに取り組むところを横で見る
のは、お互いなかなかおもしろい。豪放磊落な当社M取締役が決し
てウッドを使わなかったり、Y取締役が意外とパットをきちきちっ
と決めたりする。仕事でもこういう面を見せて欲しかったりする。
とはいえ僕のゴルフも割と慎重だったりする。あっはっは、人のこ
とは言ってられねえや。

5/15/2007

段取り

住めば都という。当社オフィスが現在のCity東のはずれに移転した当
初は、都落ちという単語がちらついたが、やはり住めば都なのである。
レントは安いし、かといってお客様のオフィスに、バスや走りで30
分以内で駆けつけられる。レストランは妙に多く、昼飯の選択には迷
うほどだ。他テナント社員の雪駄・短パン姿も、慣れてしまえばなん
てこたあない。空調もとりあえず冬の間は快適であった。とはいえこ
のオフィスは2009年の秋に契約が切れる。来年の後半に、またまたプ
ロパティー探しを始めなきゃいけないかと思うと気が滅入る。
さて、当社オフィスが面している道路は、先週から通行止めが続いて
いる。昨年越して来たときにも2ヶ月程だろうか、同じく通行止めが
続いていた。例のThames Water社の大々的な水道管の交換工事の一環
であろう。昨年の通行止めは、主水道管の入れ替えであり、今回の工
事は、新しい主水道管から各ビルへの引き込み管の交換のためである。
この段取りは興味深い。工事を2回に分けることにより、総コストを
抑えられるのか、またはサービス停止期間を少なくできるのか。また
は何も考えていなかったのだろうか。
現場には2枚の看板が張られている。これも興味深いので紹介したい。
一枚は、僕のつたない訳によると、「この現場工事は、シティー・オ
ブ・ロンドンの通達による、”静寂な時間”を厳しく考慮している」。
当オフィスは3階にあるが(日本で言う4階)、先週の真昼の騒音は、
相当賑やかなものであった。いったいどいういう通達なのか、もしく
はどういう考慮なんだか。大声で歌いながら作業しているおっさんも
いる。2枚目、「私たちの工事は直ぐに終わりますが、この工事によ
る利便は永い寿命を保つでしょう」。直ぐに終わる、の部分は a
short while と表現されている。既に週末を挟んで一週間経過してい
る。少なくとも今週一杯はかかりそうな現場の進捗状況である。
先週、お客様のシステムが不都合となり、Tolworthまで我が真っ赤な
アウディーで駆けつけた。自宅はPutneyなので、普通に走って20分
かからない程度の距離である。仕事を終えての帰路、A3のRobin Hood
前が大渋滞であった。事故かなあと思つつ、漸くのろのろと信号を通
過すると、2台のでかいトラックが2車線の片側を完全に塞いでいた。
そして無人。誰もいない。A3というのは南西部とロンドンを結ぶ幹線
道路であり、いったい誰がどういう段取りでこういう渋滞を発生させ
るのか、ロンドンではよく見かける光景だが、どうにも腹が立つ。
この国での段取りは一般的に言ってしまえば上記のようなものだが、
火事場には滅法強い。IRAテロの事後や、ダイアナさんの葬式での素
早い段取りや行動力は感動的とさえ言えた。ちょいとずれるが、過去
の戦争でもここ一番という天王山は全て制してきた国である。しかし
普段はシャープさに欠けた、ただの人に戻ってしまうのである。これ
も興味深いと言えばそうでもあろうか。

5/05/2007

Bank Holiday

日本はGWだったが、えげれすの今週末も3連休。小旅行を楽しむ
方も多いだろうと思う。出不精の僕は予定もなし。
僕が最も効率のよい仕事を進められるのは、困ったことに週末の午
前中である。もういいという程たっぷりと睡眠を取った後の朝は、
頭が良く回転する(除:二日酔)。電話もかからないし、メールも
非常に少ない。自分のやるべき仕事のみに集中できる邪魔なしの数
時間は仕事に最適なのである。当社は物理的な紙を極力嫌うオペレー
ションを行っており、外部からやってくる全ての書類はスキャンさ
れ、サーバーに格納する。なので、自宅からインターネットを経由
してオフィスのほぼ全てのリソースへアクセスが可能であり、自宅
から出来ない仕事はまず存在しない。とはいえ、これまで家族サー
ビスの必要性がなかったから、とは言える。言えるどころか、重要
な問題であろう。しかし僕は社長という機能であり、静かな環境で
一人キーボードと相談しながら週末の朝にモノを考えることを止め
るわけにはいかない。家人には良く良く言って聞かせ、そして書斎
が作れる程度のフラットに移動する必要があるかもしれない。
こうした快適なリモート仕事環境をお望みの方はエクスレイヤまで
ご一報下さい。LibのBlog を読んだと言っていただければ、1ポン
ド引きとさせていただきます。
先月の赤字にて精神的にせこくなっている。赤字月は毎年何度かあ
るし嫌なものだが、同時にこれは確実に精神引き締め剤となる。赤
字になったからどうしようか、というのは順序が間違っているし、
時すでに遅しではあるが、自然、モノをあれこれ考えるトリガーに
なる。今朝もひとつ案が浮かんだ。これは速インプリしようと思う。
部課長達の嫌な顔も浮かぶが。
---
Japan Communication Association (JCA)というソサエティーに参
加させていただいているが、年に2度セミナーが開かれる。今回は
Herbert Smith (弁護士事務所)の方々に、ここ20年の欧州の通
信事情と今後を講義していただいた。さすがはロイヤー、論旨明晰、
大変面白かったし自分の勉強不足が露呈した。内容もさることなが
ら、女性弁護士の発音には、とろけてしまった。出だし聞きとりに
くいなと思ったが、直ぐに慣れ、そして目を瞑るとそこにはサッチ
ャーさんおられてが演説しているようだった。時と場合によってこ
んな発音をしてみたいものだと思ったが、函館の百姓には3代かか
っても無理だろう。

4/29/2007

A Japanese Firm

東京に行ってきた。
帰りの成田エクスプレスでは(えーい、まぎらわしい、日本発ロン
ドン着便)、発車前から寝てしまい、目が覚めたら成田到着の5分
前のアナウンスが丁度放送された。
チェックインをしたところ、満席。席のアサインはゲートで処理し
ますとのこと。ほう。淡い期待をしつつ、いつもの蕎麦屋に向った。
おきまりの中生ビールとたぬきそばで腹ごしらえを済ませ、最後の
タバコを2本ほどやってからゲートに着いたが、無念アップグレー
ドは叶わなかった。
機内に入ると、めちゃくちゃ暑い。機器の故障で地上からのサプラ
イができないからだそうだ。サウナのような機内を席に向うと、あ
れっ、オジサンがすでに座っているではないか。またまた僕は淡い
期待を抱き、お聞きしてみると、やった、ダブルブックだった。通
りがかったスチュワーデスに声をかけた、少々お待ち下さい。通路
に陣取っているのもなんなので、トイレのあたりに身を避け、手際
の悪いやっちゃなあと思いながらひたすら待つこと10分(この間
もサウナ状態)、なんと先ほどのオジサンがすっと僕の前を通って
ビジネスクラスに歩いていった。。。僕の席に行ってみると、スチュ
ワーデスが、大変お待たせしましたと微笑んできた。おいネエチャ
ン、手荷物持って立って待ってたワシを、なんでわざわざ席でくつ
ろいでいたオッサンと取り替えるんにゃ!と言いたかったが、大人
気ないとも思い直し、おとなしく席に着いた。こういうときは決まっ
てそうだが、隣席は超弩級の英国人おじさんなのである。
そして僕はこの航空会社のエアマイル・クラブに17年間メンバー
であり、17年前から、席の好みは通路側に登録しているにも関わ
らず、窓側なのである。映画を好きなときにスタートできるタイプ
のシステムは設備されていない。インターネットは勿論無いし、食
事はいまひとつ。トイレへ立つのに隣のおじさんを2度まで起こさ
ねばならない苦痛といったら。とはいえ、飛行中80%程の時間は
ひたすら寝た。東京4泊で帰ってくると、時差ぼけが殆どないとい
う利点もあったが、さすがに疲れたのか、家に帰っても更にぐうぐ
う寝た。寝る子は育つが、寝るオジサンはなかなか疲労がとれない。
と、色々不平を書いたが実は本チケット、エアマイルを使ったもの
であり、あまり偉そうなことは言えぬ。あっはっは。
さて、日本では4月は物事が始まる時期。入学式や入社式があちこ
ちで開催され、殆どの会社では新しい会計年度が始まる。ふと気が
付くと、ここではいつまでたっても僕は社長5年生。歳をとらぬの
は気分が良いので、編集部の皆様、このままほっといてください。
そんなことはどうでも良いのだが、当社にも4月に大きなイベント
が発生した。以前、当社は純英国企業だとここにも書いた記憶があ
るが、これが日系企業となった。日系企業とはなんぞや、という議
論もあるが、日本に本社が存在して、その従業員の半分以上が日本
人である、というあたりだろうか。当社は今月から日本の本社が
100%株を保有する海外現地法人になった。今年の年頭から本格的に
練ってきたプランであり、関係する複数の人々にとって、決して簡
単な判断では無かったが、4ヵ月後に実現してしまうあたりは、我
ら実に身のこなしが軽い。
僕は変わらずロンドン店の社長を継続して勤めるが、本社の取締役
の一人という仕事が増える。東京行きの機会も増えると予想する。

4/15/2007

Merger

もうよかんべえと思って、土曜、日曜とテニスをしてきましたが、
鼻水がまだ相当発生していたので、週末仕事の後、土曜の詫摩コー
チには申し訳ない位走れませんでした。今日はそこそこ軽く動ける
ようになってきたようで、気を良くして初級テニス会後、ビール1
パイントと白の小を1グラス引っ掛けて帰ってきたところ、急に疲
れがでて頭が重く、そのまま2時間熟睡し、風呂にどばっと浸かっ
てみたらもう爽快。僕の体の勝ちで、そろそろ風邪さんは退却のよ
うです。
昨日今日とロンドンは20度を超える快晴で、気持ちよくて暖かく、
今日は人生で初めて、冬の間に密かに仕入れておいた、なんとテニ
ス専門店で仕入れたテニス専用の短パンを着用したのでした。僕の
にわとりのようなテニスをワッチしている人は一人として居ないの
ですが、本格的なスポーツ格好をするというのは、僕のような小心
者には、なかなか勇気が要るのです。ついでに1年半で破れたシュー
ズの新調をしましたが、お店でアシックス製が売られていて、へえ~
と思って買いました。家に戻ったら、Made in Chinaというラベル
を発見してしまい、ちょいと興ざめしましたが、まあそんなもんか
と。イースター前後は皆旅行などでテニス会はお休みでしたが、今
日は新しいメンバーが増えたりして、メイダベールでの初級テニス
サークルは、今シーズンも、笑える週末のひと時を提供してくれる
ことでしょう。ありがたや。
こう暖かくなるとテニスの最中にも相当量の水を飲むわけですが、
僕はVolvic 1.5Lのボトルを持っていきます。半分以上は飲みます。
ここからが問題なのですが、ボトルの最後まで飲まずに、次々に新
しいボトルを開けてしまうという悪癖があって、親のせいにしては
申し訳ないですが、どうもDNAなのではないだろうかと勘ぐってい
ます。開けたボトルを家の何処かに置いて、次の新しいものに手を
だしてしまって、中途半端に水が残っているボトルが最大5個ぐら
い家中に存在することがあります。これはよくないと思い、ある日、
意を決してボトルのマージを試みたところ、これがいけるんですわ。
Volvic同士、クチとクチをくっつけてマージすると、相当な勢いで
片方から他方へ水を移動しても、あら不思議、水はこぼれないので
す。ほら、たまには僕のBlogも役にたつでしょう。早速試してみて
ください。
それと僕は脱ぎ捨てたソックスをあちこちにばら撒いておく、とい
う悪い特技もありますが、オヤジ殿の同様の悪癖を子供の頃から見
てきましたから、これはDNAであることは疑いありません。とはい
え、こちらはマージという楽しい作業もありえず、こまめに洗濯籠
に入れる必要があります。5月に同居人がやってきますのでこちら
は他力本願、ちょっと臭そうで可哀想だけど。来週末は同居人と同
居することを親戚一同その他に宣言する催し物があって東京行きで
すので、Blogはお休みとなります。

4/09/2007

Easter

イースターともなると、ロンドンは日が長くなり暖かい。日本の季
節感にはかなわないが、そこそこ四季を感じることができる。長く
暗い寒い冬がようやく過ぎて春が来る嬉しさは、こことて格別であ
ることにそう変わりはない。
フラットのベッドルームから、裏の駐車場やUpper Richmond Street
が見える。なにが嬉しそうかって、リスたちである。春の太陽を金
色の背中で満喫しながら、2匹のリスが、恋仲なのであろうか、じゃ
れあって駐車場の屋根で走り回っている。その傍で妙に太った鳩が
足を畳んで、リスたちをゆったりと眺めている。
こんな平和なイースター4連休に、風邪をひいてしまった。数年ぶ
りにきついなあと思う結構な風邪である。最初は喉がひりひりと痛
み、次に鼻水が滝のように流れ、現在は更に胸が痛い。あと数日間
続きそうな勢いでうんざりしている。とはいえ、僕の体にまだ柔軟
性が残っていると思うとちょいと嬉しい気がしないわけではない。
歳をとるにともなって、風邪をひきにくくなる人がほとんどだと思
うが、体が柔軟性を失っている大証拠なのだそうである。僕の場合
はもう5年ほど、風邪と呼べるほどの規模のものはひいておらず、
逆にうんざりしていたのであった。しかし、ひいてしまうとやはり
風邪は憎らしい。
荒療法、テニスで汗をかいて一気に直そうかとも思ったが、朝起き
て、まだまだ症状がひどいのでやめにした。このあたりの見極めは
難しいところだが、あまり過信せぬあたりの判断が適切かと思う。
体からの悲鳴はよくよく耳を澄まして聞いてあげたほうが、永い目
でみて正解なのだろう。なので、暖房を入れた暖かい部屋でイース
ターを無為に過ごしている。
無為に過ごすというのは僕の場合、頭の半分で本を読んだり、テレ
ビをみたり、ごろっと横になってラストシーンがみえみえの恋愛映
画を豆でもかじりながら眺め、他の半分で会社のことをぼーっとな
んとはなしに考えるというものである。これが幸せな時間かどうか
は知らんが、近代人にとって贅沢と呼ぶべき時間であることはまず
間違いない。
そんなこんなで、イースターには結構な量の読書が進んだ。梅原猛
氏が若き頃著されたエッセイ的な作品集や、塩野七生女史など、
本棚から目についたものをランダムに手に取った。こうした哲学者や
小説家の感性に何時間も浸っていられるのは、必要な贅沢ものであ
り、かつこの贅沢は自ら作り出さねばいけないと再認識した次第で
ある。

4/06/2007

Espresso

出張でパリやミラノあたりに行くと、お客様のオフィスのキッチン
に必ず年季の入ったエスプレッソ・マシンが鎮座しており、これら
が作リ出すコーヒーはとても美味しい。挽いたコーヒーがパックに
なったもの(僕は玉と呼んでいる)をマシンにセットして蓋を閉め
ると、グワーンという音を出しながら相当な圧力でもって泡を適度
に発生しながらエスプレッソを作ってくれる。出した後の殻は勝手
にマシンの後ろの格納箱に移動するので、そのまま定期的に捨てれ
ば良い。実に簡単で手軽。
ロンドンではこの玉が手に入らなかったが、漸くNespressoという
会社が大々的にUKマーケットに乗り込み、本格的な展開を開始し
ている。エスプレッソ好きの僕としては早速自宅用に仕入れてみた。
豆(玉)が風味別に20種類位あるが、もちろん一番濃い玉を10
0個買ってみた。美味い。これならパリに負けない。同居人はカプ
チーノ派なので、どちらも作れるマシンを選んだ、250ポンド也。
玉は一個23ペンスである。カプチーノも一番濃い玉を使って作って
いるが、美味しいそうだ。
昨年オフィスを引っ越したとき、友人のBobさんがコーヒーマシン
を贈ってくれた。これは後で分かったが、なんと650ポンドもする
ものだが、残念ながらエスプレッソが不味い、というかエスプレッ
ソになっていない。即ち、泡をだせないのである。当店、特に日本
人スタッフにはエスプレッソ好きが多い。Nespressoは、エスプレッ
ソ専用のマシンだと100ポンドちょいで入手できる。早速オフィス
用に1台と玉500をオンラインでオーダーした。これでイースター
明けにはオフィスで美味いエスプレッソが飲めることになる。この
程度の出費で自宅やオフィスでのひと時が幸せになれるのは幸せで
ある。

3/31/2007

Email

日本から飛んでくる電子メールの件名に【至急】とついたのがやた
ら飛び回ることがある。オリジナルに返信するものだから Re:【至
急】 Re: Re: Re:【至急】 となり、至急という文字がメールソフ
トの上から下まで占領することになる。この極太の括弧を大量に見
させられるのは、どうにも耐えられない。
英国人から [Urgent]とついたメールを受け取ることは、スパム以
外にはまずありえないし、僕もそのようなメールは少なくともここ
5,6年は送った記憶が無い。日本人は至急という単語が好きなの
だろうか。
至急なのであれば、電話や即時打ち合わせにて解決せしめるべき一
件なのを、メールでやるものだから、こうなってしまうのだろう。
CC:を複数に出したいのであれば、To:の当事者と電話で話して決め
た、その結果だけを流せば事は足りるはずである。そもそもCC:で
送られてきたメールは即ごみ箱、という人を僕は何人か知っている。
気持ちはわからないではない。
あまりに読み手の感性を無視するメールが増えてくると、こっちも
おちょくってみたくなる。【すでに至急ではなくなったよね】とか、
【以前は【重要】だったが今では些細なことになった】とか、【こ
いつはひとつ、まったりとやってくれい】とか。
メールソフトによっては(殆どそうだが)、重要度 (Priority)の
設定ができるようになっている。受け手には一々重要フラグがつい
ているが、内容が殆ど無いに等しいものも多数ある。更に救われな
いのは、メールソフトの設定により、全てのメールの既定値を最重
要に指定している人も僕は何人か知っている。
以下は好みの問題といわれればその通りなのだが、当社社員には、
なるべく HTML等のような色をつけたり文字サイズを指定できるよ
うなフォーマットではなく、Plane Text でメールを送るように勧
めている。事実、HTMLフォーマットで送ってくるメールで装飾がさ
れているものや、その必要があると認められるものは僅かだ。なの
でPlane Textで十分。サイズは最小だし、環境にやさしい。
通信技術屋としてProfessionalな香りもする。仮に【至急】なんぞ
つけたメールを送った社員がいたら大体は説教部屋に連れて行かれ
ることになるだろう。今のところ、これで説教くらった社員はいな
いが。

3/11/2007

Q1 2007

今週末は、昨年から10ヶ月間程仕込んできたプロジェクトの総仕
上げで。なかなかの結果となり、明日月曜はまずまずお客様に喜ん
でいただける作品ができあがったと胸をなでおろし、後片付けのメー
ルを出したりして、余韻を感じています。とはいえ、明日は朝7時
には現場に出かけ、山のように発生するご要望(PCの位置が悪い、
プリンターをあっちに移動してくれ等々)に当社社員は走り回され
ます。なのでまだ気は抜けませんが、勝負は見えました。熱い風呂
とワインの1,2杯位は許してもらえるでしょう。
このプロジェクトはお客様のオフィス移転。今日は仕上げとして、
導入したサーバーのダンボールやら、古い機器やケーブル等、相当
数のゴミを出して、整理もしました。このゴミの量は10年前に比
べると比較にならないくらい多いように思います。なぜだかは分か
りません。モノが直ぐに古くなってしまうようにも思うし、梱包が
年々大げさなダンボールになってきているのか。
ゴミといえば、我が家のゴミも相当なもので、一人暮らしの割には
結構な頻度で重いゴミ袋を担いでフラット裏の大ゴミ箱まで持って
いかねばなりません。どうしてこうゴミが多いのだろうと考えてみ
たところ、
1. ワインの空瓶
2. クリーニング屋さんのビニールカバーと鉄線ハンガー
3. タバコの空箱
4. 宣伝メールなど、開けもしないエンベロープ、結構かさばる
大体上の順番のようです。今春には新同居人(つまりつまがやって
くる)ができあがる予定ですので、更に生ゴミ等が増え、ゴミ捨て
の頻度が増えるかと思うとこれはうんざりします。あれって結構重
く、たまに破れたりするとワインのビンが割れたりして大変なこと
になります。そこまで貯めないのが正解なことは分かっているんで
すが。
先週は Blog をサボってしまいましてごめんなさい。別に急性アル
コール中毒になったわけでもなく、インフルエンザにかかったわけ
でもなく、いたって元気です。経営者が忙しさを理由にすべきこと
を実行しないのは最悪、反省。
それにしても当社社員は先週・今週末と、背中から湯気を出しなが
ら、よくもまあと思うほど機敏な綺麗な現場仕事をみせてくれまし
た。僕もまた気が引き締まります。2007年Q1、株市場もばたばたし
ているようですが、当店もばたばた状態にてこちらは幸先は良し。

2/26/2007

blog

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Y取締役はオフィスで僕の右隣に座っている。その刹那はお互いな
かなか忙しく、各々自分のPCの画面を見つめキーボードを叩きな
がら話をしていた。会話を中断し(たつもり)H課長に電話をかけ、
同じような話題で会話していたところ、妙にシンクロしたようにY
取締役から相槌が発生する。暫くするとオフィス内が笑いで動き始
めた。そう、電話で他人と話している僕に、懸命に相槌をうってい
るのは、僕のBlogにしばしば登場する関西人のYさんであった。
---
10数年ぶりだろうか、英国の結婚式に出席した。いや、僕のでは
なくて友人の結婚式である。シンプルでとても楽しいものだった。
食事は大変よく、酒は美味く、気持ちよく踊ってきた。でかけるま
では腰が重いが、場に入ると楽しい。お幸せに。
---
愛車が直ったと思ったら、駐車違反を2回。どちらも不可抗力に近
いのだが是非も無し。これで我がWandsworth地域の発展に貢献でき
るかと思えば、40%の所得税を取られるよりはなんとなく気がらく
だ。日本に比べればまだ楽だが、TAXというのは重い。会社が1
00円のモノを仕入れて200円で売ると粗利は100円となる。
ここからこれを売るために必死に頑張ってくれた社員に給料を50
円はらう。この50円のうち、40%がTAXとして国に入る。2
0円。更に、残りの粗利益50円から、オフィス家賃やらなにやら
をさっぴいて、10円の純利益がでる。これに対して25%のTA
Xがかかる。2.5円。結局100円もうけて、会社としては22.5円は国
に持っていかれる。経営者としての感覚では1/4は税金。サラリー
マンとしての感覚では40%。経営者かつサラリーマンとしての感覚
では、半分、すなわち1月から6月までは、国のために一生懸命仕
事して、残りの半分が実入りとなる。のような発想でTAXを捉え
てはいけないのだろうけど、つくづく厳しいものですねえ。
---
Touch type をきわめると、キーボードというものに大変うるさく
なる。僕が現在オフィスでも家でも使っているIBM製は、どうだろ
う、1990年前半の製品だろうか。クリック感のある重いキーボー
ドで、これなしには毎日効率よい仕事ができない。あと1台だけス
ペアがあるが、これがご臨終するまでには10年かからないはずだ。
その後どうしようかと気にはしている。
---
女性は反芻するという。男性は変化を快く思う人もいるという。こ
のあたりは最近は変わってきているのかもしれない。
---
ネタください。。。

2/20/2007

kinn benn

Blog commentにて、ちょいと考える機会を頂戴した。
勤勉さということと、長時間働くこと、というのは相関があるよう
で実は無いはずだ。ドイツ人は勤勉だ、という(ちょっと古い)日
本での通説があるが、ドイツ人が長時間働いているかというと、全
くそんなことはないことは、僕の欧州での長い生活で知っている。
では、なにを持って勤勉と捉えるか。それは例えば作品だと思う。
ドイツが誇るメルシーデス。デザイナーやエンジニア達、そして販
売する人々や経営者の芸の細かい勤勉な仕事なしには、あのような
素敵な車は作れないだろう。そしてレクサス。我らがトヨタの自信
作、助手席にしか乗ったことしかないが、これも素晴らしい車だ。
なかなか他国では難しいかもしれないし、作ったとしてもコスト的
に合わず商売にはならないのではないか。両社共、勤勉な経営陣や
社員がこれらの作品を作っているのだと思う。
勤勉で、かつ長時間働くことを受け入れる日本人の美質・努力や、
それをささえる文化・教育無しには、あの奇跡のような日本の高度
成長はありえなかったであろう。しかし、日本の現在は、もはや高
度成長期ではない。ドイツもしかり、である。
Gパン屋の例を挙げたのは、勤勉のことではなく、過度の狭い競争
意識と、時間に関する(経営者の)無意識さに疑問を持つからであ
る。どう考えても夜中のGパン屋が高い利益率を維持しているとは
思えない。しかしながら、あるGパン屋が24H営業を始めると、
競合他店も当然これを検討するだろうし、実施するかもしれない。
こうしてGパン屋の24H営業という利益率の希薄な店があちこち
に現れる。これが長時間勤務に直接つながることはないのかもしれ
ないが、狭い過当競争に24H営業という精力を費やすよりは、昼
間の利益率向上や、品質・メニューの改善に知恵と時間をかけるこ
とにより、時間のゆとりが得られるのではないだろうか。何処かに
線を引いて、売上げは上がるがこれ以上GPR(荒利益率)を得られな
いなら、経営判断で止めちまうというオプションをなぜ取れないの
だろうか。僕の知っている限りでは、ドイツには24H営業のGパン
屋は存在しておらず、その違いは、経営者が競争力というものを、
ドメスティックな国内に限定して考えているのか、国際的な視野で
考慮しているのか、のあたりにあるのではないだろうか。
毎晩終電まで仕事せざるを得ない日本人が何%いるのか数字は持ち
合わせていないが、相当数になるだろう。知り合いの英国駐在員で
も大変な生活をされている方が多数に上る。Gパン屋の話はドメス
ティックな競争という課題で、僕の問題意識をさほどくすぐるもの
ではないが、問題は国際競争力である。
毎日終電や夜中まで仕事して、タクシーに乗って帰宅するまでの長
時間労働を前提にしないと、日本企業は国際競争の中で通用しない
のだろうか。よくよく考えて、本当にそうなのだろうか。その答え
がYESならば、遺憾ながら日本の経営者達が持つDNAの何処かに、欠
陥といえば言い過ぎであろうが、なにかそのようなものが存在して
いるのではないだろうか。日露戦争でいえば203高地とか、戦国
時代だと長篠の戦での無駄な屍の山を連想してしまう。太平洋戦争
に至っては触れたくもない。
後世から冷静に観察すると、当事の作戦司令部や殿様が、いかに馬
鹿だったと簡単に言えちゃうかもしれないが、当時の当人達は最も
よかれ、という判断だったはずである。現在も前途のように、現場
では長時間労働が行われている。これらの企業の経営者は、良かれ
と思っているか、やむを得ないと思っているか、いずれにしても生
産効率を改善をしようとしてはいないか、又は意思はあるが行動に
時間がかかっているのかどちらかであろう。
あまりのんびり野放しにして良い問題ではないと思う。
日本は少子化が進み、確実に急速に労働リソースが減ることが分かっ
ている。GDPは、0.1%でも良いからとにかく上向きであることが最重
要である。既に国際平均に比して極端に多い労働時間を更に増やし
てGDPを維持するのか、または生産効率を上げることに時間を割くの
か、これは政府云々というよりは、中小企業も含めた日本の経営者
達が多少でもマクロ的・国際的に考えるべきことなのでは無いだろ
うか。

2/11/2007

ExJob

僕はコンピューターのプログラミング作業は全く苦にならない。と
いうよりは、むしろ嬉々とした楽しさを覚える。徹夜なんぞ平気の
平左だ。
開発言語には色々と手を出した。学生時代のFortranから始まり、
仕事でBasicやZ80や8086のアセンブラ、C言語と呼ばれるプログラ
ミング言語を若い頃にマスターし、英国に渡ってからも、Visual
BasicやC++という言語を、商用レベルになるまで覚えた。これらに
比べると、Web開発で使われるhtmlやcssと呼ばれるも新しいものは
(開発言語では無いが)実に簡単で、赤子の手を捻るようなもので
ある。生の外国語は下手くそでなかなか覚えられないが、発音や聴
く必要の無いプログラミング言語は、そこそこいけるクチである。
今週は、ある社内開発システムのアップグレードで、久しぶりに徹
夜に近いプログラム人生をおくった。社内開発といっても、実は僕
が一人で、Access Basic という言語を使って、しこしことコーディ
ングしてきたものである。外注するカネも無いし、自分の考えをダ
イレクトにシステム開発社(自分)に伝えられるのだから、出来上
がりは思い通りのモノとなる。自社の主ワークフロー・システムを
社長自らが開発する会社も珍しいかもしれないが、そこは我ら、技
術オリエンテッドなのである。
このシステムは、見積・購買・請求という、会計3種の神器を巧み
にオペレートしつつ、かつ当社標準のISO9001に準拠した品質管理
やオーソライズ・ポリシーを実現するという社の重鎮ともいえるシ
ステムなのであり、当社に自慢があるとすれば、そのひとつに確実
に数えられるものである。このシステムに則って見積りや請求書を
出している限り、新入社員でも明日からExlayerの品質管理に即し
ていると言える、なかなかたいした奴なのである。
会社を作った頃、SAGEという市販の会計ソフトを使用していた。一
番安いパッケージを買ったところ、請求書が作れない。開発元に電
話したところ、更にカネを払ってアップグレードが必要だという。
なので払った。次に、見積りが作れないことに気付いた。電話した
ら、更に金を払ってアップグレードが必要だという。結局結構なカ
ネを払ったが、システムとして見積・購買・請求書に、なんの関連
も得られず、ただの発行・印刷機だったということが分かった。仕
方が無いので、Excelでこれらの関係を纏めていたが、1年、2年
と経過し、トランザクションが多くなると、もう管理不能。思い立
ったのが ExJobと命名した上記システムであり、リリースから4年
が経過した。いまだSAGEには、請求書以降の処理に抜群に活躍して
もらっているが、それ以前のプロポーザル段階や、プロジェクトの
インプリ期間はこのExJobが活躍している。
とはいえ、プログラマーとしてはとうにさかりを過ぎた年齢でもあ
り、プログラマー的指差し確認等のあたりは呆けに呆けており、今
回もリリースしたら、いきなり過去の見積データが261件消滅し
ていたという障害が出てしまった。皆、頭にきているんだろうなあ
と思いながら、大して文句も言ってこないのは、開発元が社長だか
らなのだろうなあ、と気の毒になってしまった。ごめんごめん。ま
あこれは毎度のことだから、メジャー・アップデート後のシステム
は、誰も最初から信用していないのかもしれない。なので何とか復
旧できてしまうのだ。半日かけて問題を解決せしめたが、これでま
た僕のプログラマ・SEとしての評価が一段と落ちたことだろう。
今週末も小さな手直しを続けている。テニスも例のコーチに入って
もらって2時間。こういう週末は至福である。

2/05/2007

No more spin

"Did you miss the baby?"
"Well she's a little too old as a baby. How naughty was she ?
"675 pounds and 77 pence, Yosh"
"Oh, well not too bad, thought it could be double."
"I could charge double!" "No!"
本当に直ったのかどうかは今週末のテニス場へのドライブで検証す
るが、10日以上の入院にしては3桁で収まった。我が真っ赤なア
ウディーもそろそろ老衰が近い。ここ暫く入用が続くので、あと1
年半程は耐えて欲しいところだが。
テニスといえば日本の東レ・パン・パシフィックはヒンギスが優勝
したそうだ。シャラポバさんは途中で棄権。ジャスティンは、まだ離
婚騒動で出ていなかったので、あまり気合の入るツアーではなかった
が、決勝はイバノビッチに勝たせてあげたかった。この人巧いことは
巧いんだけど、勝てない。運もまだ強くないかもしれない、というと
あれだけど、運というのは、うんと大事なことだと思う。
・・・
さて今日は、ほんの軽くだが、腰が妙だ。週末2時間のテニスの結
果だとは分かっているし、これ以上重くならないことは体の声で分
かっている。しかし、日曜も今日も冷え込んだので油断は禁物。ス
トレッチ、ヨガ、風呂、その他で柔軟な腰筋(造語)を保って強化
を続けねば、また昨年のような、ソックスをはくのに3分かかる状
態になってしまう。気をつけよう。
そして今日は月曜日である。僕のBlogは不定期投稿ということで編
集部殿には大目に見てもらっているのだが、週末にはduty callsと
自らを励まし、多少のプレッシャーがかかる。先週末もあれこれ考
えてはいたが、ネタがなかなかあがってこない。そうして今日月曜
になってしまった。ネタというのは思いつくときは1分間に3つも
4つも思いつくのにね。
なので、今日はいつものテニスネタにて、うだうだしようと思う。
これだとBlogの5、6回分位はいつでも書けるかもしれない。
近年というか、もう10数年以上前からテニス界では強烈なトップス
ピン打ちが全盛となっている。素人は、テレビやライブで見る贔屓の
トッププロのスイングを真似したくなるのが人情だ。僕も例にもれず、
かっこだけのトップスピンを目指してウェスタン・グリップなど試し
ていた。しかしだ。昨年夏、ありがたいことに素敵なコーチを友人に
紹介してもらった。いかに馬鹿なスイングをしていたか、真っ先に指
摘されその日のうちに矯正された。いや、されたという過去形を使う
のは僭越、現在も猛練習中である。フラット・ドライブ、即ちラケッ
トに玉を乗せるようにして、ナチュラルに、かつ力強く運ぶ術を覚え
ずして、トップスピンなどはお話しにならないと。
僕は、特に仕事では、基本形習得派(これも造語)である。ベーシッ
クの習得無しに目先の仕事ばかりしたって、いくらたってもモノを習
得できないし新たな展開ができないという考えに100%同意するも
のである。ジャスティンのようなウェスタン・グリップでのフォアや
シングルバックを打ちたい気持ちはあっさりと捨て、「わかった、が
んばります先生」。
こうして4,5ヶ月経過した。僕のフォアは確実にフラット・ドラ
イブに近くなってきた。まだまだベースラインをオーバーすること
が多いが(玉が落ちないので難しいのです)、ネットに引っかかる
よりは良いと先生も云ふておられるので、この際、先生や仲間に甘え
てホームラン打とう。フラットドライブは、向こうのコートに深く落
ちて、バウンドしてからの玉が低い弾道をえがく。10本に1本でも
巧く打てればこれは快感である。この快感のためにテニスをやってい
る。更に、肘や手首に無理がかからないので、あまり若く無い体に故
障が出やすい年齢の人(一言でいうとオッサン)には、最適な打ち方
なのである。現在僕の課題は、インパクトで体が伸び切ってしまうこ
と、玉を見ていないときがあること、もっと縦スイングせねばならぬ
こと等々。なかなか体が覚えるまで時間がかかるものだ。多分、テー
クバックで左手をどこまで長くラケットに沿わせられるかが解になる
のではないかと先週発想して練習している。
ちょっと先生の話をする。今のところ、その先はフォア以外なにも教
えてくれない。強いて言えばサーブをちょろっと教えてくれるが、ま
ずは僕のフォアハンドをなんとかしようと真剣にしつこく継続してく
れているのだ。ちゃらちゃらボレーとか練習するまえに、基本である
フォアハンドを、僕の年齢と運動神経で可能な、最上のところまで持っ
て行きたいと思われているのではないか。こういう教え方は、また実
に僕の好みであり嬉しい。先生は、過去にワールドランキングの20
0位まで極めたプロプレーヤーであった。そして若い。そして長身の
美人、そう女性なのである。そして日本人でもある。倫敦で受けられ
るコーチとしては奇跡のような先生なのだ。まだまだ生徒はとれるよ
うなので、テニスが本当に巧くなりたい方、お子様に本格的なコーチ
をと考えている方、僕が保障します、良い先生です、こちらまで一報
下さい。

1/29/2007

Site Site Site

手足が震えるだけ怖いと思った。先週土曜日は、お客様のコンピュー
ター室の引越しがあり、当社エンジニアが15名強集まって朝から
現場を走り回ってくれた。各員、動きがきびきびしており、声も良
く出ていた。笑いと緊張がほどよく共存していた。僕が理想とする
週末現場仕事の雰囲気であって、ちょっとした感動モノであった。
チーム割りもうまく機能し、新人達は課長達の体の動きや頭脳の使
い方を目の当たりにして、当社の現場文化(僕の造語)や現場サー
ビス品質のレベルについて、大いに感じてくれたところがあったと
思う。
なんと力強い組織だろうと思った反面、とても怖いと思った。
’現場文化’は一日で成るものではない。当社のような小さくて新
しい組織の場合、まずは一人か二人による文化の造り込みから始ま
る。それが役員に伝達し、そして課長に伝わり、更に社員全員に徐
々に浸透せねばならない。何年もかかるし、どこかの伝播経路でこ
けると、その下の社員には、こけた文化がそのまま伝わる。まるで
コンピューターのように論理的で、構造的で、階層的である。最初
に僕が造り込む文化が並のものだと、全社員に伝わる文化も並のも
の、またはそれ以下となる。上質のものであって初めて全社員に上
質のものが伝わる可能性を得られるが、あくまで可能性であり、途
中でこけることも大いにありえる。そんなことを、週末に走り回っ
て良質な仕事を何時間も継続してくれた社員達を見ながらつらつら
思っていたら、足が震えるだけ怖くなってきた。多少の心地よさを
伴う恐怖感であるが。少しは社長という立場の怖さを身をもって分
かってきた、ということだろうか。40にして不惑というのは正直に
いって分からない。単に怖いのみである。
営業力の問題を抱えつつも、現在25名の組織となった。僕が当面
の目標としてきた、ある素敵な会社組織(もうなくなったが)が3
0名規模だったから、6年目の当社にとって、あともう一歩。毎朝、
緊張で手足を震わせてながら気を引き締めていこうと思ふ。
---
さて、僕の車がまたぶっ壊れた。今回は、デフロスタ(窓乾燥ファン)
がスチーム発生器に化けた。10日ほど入院が必要だという。お代は
まだ聞いていないが、恐ろしいことになりそうだ。
こちらも怖い。

1/22/2007

Profit Rate

渡英してから数年後、短期間集中型のプロジェクトがあり、毎
日朝から23時まで(をチームの約束事にした)仕事をする生
活が半年間続いた。若かったし集中力は継続できた。プロジェ
クトの終盤を向え、週末イベントを控えて念入りに仕込みを進
めたが、土曜日の当日、病院行きとなってしまった。腕に斑点
が現れ高熱を出してしまったのだ。仲間が大いに頑張ってくれ
てこのプロジェクトはうまく完了した。
さて、このプロジェクトの後、僕は急速に体力の衰えを感じ始
めることになる。長時間仕事を毎日続けたのが原因とは思って
いない。単にタイミングなのであろう。皆、ある年齢になると
急激に体力の減退を覚えるという。僕の場合は他人よりちょっ
と早かったようだが、ではその後さらに体力減退しているかと
いうと、そうでもない。今から5年前とさほど変わっていない
ような気がする。気がするだけかもしれないが、自分の体は自
分が一番知っているつもりでもある。
帰省兼ビジネスで日本に飛び、現在東京に滞在している。4階
の窓から下を眺めると、ジーンズ等を売っている店がある。店
の周りに旗を沢山ならべて、なかなかにぎにぎしいが、24時
間年中無休という旗も立っている。服屋が24時間開いている
のは確かに便利な時があるのかも知れないが、もし東京の何処
にも24時間営業のジーンズ屋がなかったとしても、さほど困
ることは無いように思う。むしろ、夜中の売上がはたしてどれ
程のものになるのか、人件費や光熱費を費やして、はたしてど
れだけの粗利率になるものかと心配してしまう。
郷里の函館に2日間滞在し、親兄弟や友人達と久しぶりに楽し
く談話をした。友人は30歳の頃、毎日朝8時から夜中の2時
まで仕事をし、それが3年間続いたそうだ。壮絶なものではあ
るが、似たような話は日本ではどこでも聞く。長時間働くこと
が一つのステータスになっている、というと言い過ぎであろう
が、これだけの長時間を費やさないとビジネス社会で競争でき
ないというのは、あまりに知恵が無いと言ってもよいのではな
いだろうか。高度成長を経て、日本は現在確実に低成長・安定
期に入っているのだから、もう少し知恵を絞って時間をかけず
に利益率を上げる努力にも時間を割いたほうが良いのではない
か、などというと高度成長を支えてきた先人や猛烈社長さん達
からお叱りを受けるだろうが、今回の旅の正直な感想である。
時代時代の経営をすべきではないか。
以下蛇足ながら。前述のプロジェクトは10年前の事だったが、
あまりの忙しさに会社にアルバイトを入れてもらえるようお願
いした。当時英国にて遊学していたうら若き日本人女性が雇わ
れ、現場事務所で僕に平気でこき使われていた。半年間の勤務
の後、日本に帰っていったが、縁というのは実に不思議なもの
である。この歳で誠に赤面ものだが、10年続いた僕の独身生
活がピリオドとなりそうだ。

1/12/2007

Cash

数年前に会社を作ろうと決心した時に、こらあかん、と思ったのは
会計のことだった。損益だとかバランスシートだとか全く知識がな
い。できあがるであろう会社の財布は、結局僕が握るんだというこ
とに気付き、はじめてゾッとして、翌日本屋に出かけなるべく分か
りやすい3冊を仕入れた。なにしろ会計のプロを雇うなんて不可能だ。
更に会計ソフトを購買し、架空の会社を作って、架空のトランザク
ションを入力して、PL/BSにどう現れるのか練習を重ねてみた。技術
屋的なアプローチなのだろうが、これはなかなかワークし、減価償
却とは何ぞや、発生主義とは何ぞや、VATとは結局だれが負担してい
るのか等々、良い勉強となった。会計の世界は技術の世界と同様、
大変システマティックなのだなあと思ったし、意外としっくりきた。
毎年のことだが、師走から年頭にかけて当社のキャッシュが極端に少
ない状態となる。今シーズンも相当厳しく、年末から数週間、銀行口
座に3万ポンドという状態が暫く続き、ちょいと緊張が続いた。売上
高 1/100のキャッシュのみで数週間凌ぐのはエキサイティング、など
ということは過ぎてから言える事であって、実際には毎回胃の痛いも
のである。とはいえ、クライシスを乗り越えた後には、ちょいと自分
を褒めて上げたい気分を3分間だけ味わうだけの達成感がある。会社
の財布は確実に守らねばならない。受注が山のようにあるのに倒産
する会社が山ほどあるらしい。毎日Profit and Loss を眺め、Bank
Recoincileをこまめに実施し、キャッシュの先行きを常時気配りし
ないと、小企業はあっという間に不渡り。
個人の家計もしっかり守ればよいのだろうが、どうもこちらは興味
がないのか、からっきし駄目である。
本年度の予算が確定し、早速課長会を開いた。殺人的な数字の羅列で
あるが、特に文句はでなかった。もしかしたら達成できると思ってい
るのか、まったく見たことも無い数字にボーっとしているのか、その
あたりは分からないが、通った予算は知恵を絞って力強く行動し達成
したい。
さて、明日は日本に飛ぶ。前から欲しかったRimowaの4輪ケースを入
手し、ぼちぼちパッキングを開始した。ポンド高がちょいと嬉しい。
いってきまーす。

1/06/2007

A happy new year

Christmasが4連休、年末年始は3連休だったが、どうも休んだ気
がしない。ちょっとしたビジネス判断の時期が迫っており、頭が過
熱気味である。加えて忘年会・新年会が毎日続き内臓も大分疲れて
いるらしい。本日は何も考えず酒ものまず、風呂と読書で一日無為
に過ごそうかと思う。
金曜は、当社非常勤取締役のトニーさんと午後を過ごした。彼は僕
の頭がもがいている時に必ず現れて、豊富な経験と鉄のような力強
い意志を大量のジョークと共に惜しみなく与えてくれる。ありがた
いことに、彼のようなビジネス経験豊富な英国人オヤジ数名が僕ら
のビジネスを常に見守ってくれている。吉田に過ぎたるもの二つ有
り、知恵の課長会と、静かなるオヤジ達、というところか。昨年は、
それぞれのスタッフが将来への手ごたえを多少感じてくれたと思う。
本年度も気を引き締めて計画通りの成長を達成したい。
さて年末年始は日本に帰省された方も多いと思う。今週は電車とパ
ブが比較的すいていた。ビジネス・フル稼働は来週からなのだろう。
ふと気付いたが、日本に帰省する際には、文字どおり日本に”帰る”
と普通は表現するだろう。が、渡英10年を超えるあたりになると、
日本に帰り、英国に戻るときにも”帰る”になる。どっちも”帰る”
なのが面白い。更に20年近くなると、日本へ”行く”になり、英
国に”帰る”と、まるであべこべになってしまう。所用にて来週末
から日本へ行き、実家にも顔を出してこようと思う。日本は飯がう
まい。ごく普通の朝ごはんが、味噌汁が、なんてうまいのだろうと
感激さえ覚える。それと、日本産ワインが評判良いらしく、これも
2年ぶりの日本の楽しみにしている。
今年もよろしくお願いします。