3/23/2008

Tennis

当社の社員の3名がその翌朝土曜日、 Argos へ走ったという。その
前知識を仕入れ、僕も Amazon へインターネット上で走りオーダーし
た。ずっと気にはなっていたのだ。あれだけ巧みなTV宣伝をしばしば
見せられて、多少でもおもちゃ好きなオヤジなら、気にならぬわけが
ない。しかし1分を惜しむ毎日が昨年から続き、なんの手当てもでき
ずにいた。
その日は当社の新人歓迎会にて、シティーのパブで飲み始めた。ちと
ポッシュなパブであったが、それが置いてあって自由に遊べるのであ
った。今思えばこれを設置したフロア長は大したものだ。他の客がぎ
ゃあぎゃあ遊んでいるのを見ながらその凄さに呆れてしまった。いっ
たいなんなんだこのシステムは。加速度センサーというかジャイロと
いうか、昔は高価で巨大だったものが、こんな小さなコントローラー
に収まるようになったからなのだろうか。そしてそれを安価に提供で
きるまでに開発してしまう、かつ少年のように面白さを徹底的に追う
素敵なオヤジ達が集まっている組織に脱帽である。
カラオケマイクを話さないオヤジもいるが、僕はギネスを片手に、そ
の後たっぷり1時間、汗をびっしょりとかきながら、テニス、ゴルフ、
野球、ボクシングと、大忙しに遊び、WIIコントローラを離さないオ
ヤジと化していた。遊びたかったけど社長がコントローラーを離して
くれなくて遊べなかったスタッフの皆さん、ごめんね。今度ぜひ我が
家に来てください、一緒に遊ぼうよ。
Amazonから届いた箱を開けて3日後、イースターホリデーとあいまっ
て、僕のWIIスポーツのテニス腕前は600点を超えたぞ。既に相当
汗をかかないとコンピューター相手のゲームは勝てなくなっている。
ハード・ソフト共、芸細かく、バランス良く、感心の連続である。長
い道のりだと思うが、現在300点を越した同居人とともにWIIテニ
スプロの道をいつか究めたいと思う。
満足度120%の購買だった。一家の愛犬になりたいというのが開発
陣の根底に流れているのではあるまいか。どうにも見習わねばなる
まい。

3/12/2008

Agility

我が庵はPutneyの東側に所在している。地下鉄駅まで徒歩3分とい
う場所だが、リスやら鳩やらが我が物顔に徘徊しているあたりがU
Kらしい。
Putneyという街は日本人もそこそこ多いのであるが、どうも社会的
認知度が低いらしく、同居人は友人に、パ゚ディントン駅から何時
間かかるの?と聞かれることも少なくないらしい。それは結構ショッ
クではある。
ここはZone-2なのである。東京でいえば、世田谷区の東の端あたり
であろうか。住めば都というが、僕はかれこれ12年このあたりを
うろちょろしており、なかなかよい街だとますます思いが強くなっ
ている。パディントンからは30分弱で着く街なので、皆さんお立
ち寄り下さいな。
Putneyはテニスで有名なWimbledonの隣町とも言える。そしてすぐ
西にはHeathrow Airportが鎮座している。僕が12年前にPutneyを
選んだのはHeathrow空港に近いというのも一つの要因であったよう
に思う。その後Warterloo駅からパリやブラッセルまでEurostarが
通じたのは大きな幸せでもあったが、昨年この名誉はKings Cross
に譲られてた。おおいに残念に思っている。
いつか書いたが自宅は禁煙となった。従って煙草を吸うときはフラッ
トの周りを徘徊しながら吸うことになる。表で吸っていると人の通
りが多く、大体はgarageへ通じる裏口で吸うことになる。これも以
前書いたが、僕の場合、煙草を吸っている数分間というのは、実に
考えが集中し、まとまる時間でもある。同時に、なにも考えずにリ
ラックスできる時間でもありえる。そんなときは空をぼんやり眺め
る。
裏で煙草をぼんやり吸っていると、上空を通過する飛行機の多いこ
とにいやおう無しに気が付く。PutneyはHeathrow Airportへ着陸す
る飛行機の最終通過地点でもあり、2,3分おきにひっきりなしに
その上空を通過する。
飛行機が飛んでいる姿は美しいとぼんやり思う。767とか777とか、
340だとか、それぞれに美しい。ぼ~っとみていて美しい。面白いの
は、でかい、747等の飛行機は我が庵上空を通過する際、既にスピー
ドが相当落ちている。それに比べて737のような小型は、いまだ元気
にスピードを維持しながらヒースロー空港にアプローチする。これ
だなあと思う。小さい奴らは小回りが利いて元気がいいのだ。

2/23/2008

Work Permit

Work Permit(外国人労働許可)のシカケが変わるという。外国人(
日本人)への交付が難しくなると、当社は困る。すでに当社のニュー
ヨーク店はこのシンプルな’困る’と何年も格闘しているが、今でも
困っている。これがUKに来ると、とても困る。
難しくする理由は明白であろう。EUの描いた労働力自由化の理想像が
、実際には様々な問題を生み出した。これを調整・整理する為である
。やむを得ないだろうなと僕も同意する。
そして同意できないこともある。新しいWPのシカケが、相変わらずUK
に入国したい’個人’の資質や英語力等を審査の対象の大部分として
いるシカケである。その個人を雇う"企業"の資質や国への貢献度は殆ど
対象になっていない。どれだけUKの経済に貢献しているのか、大いに
審査の対象にすべきだと思う。
こういうあたりは昔のイギリス人達は大変賢かった。日本人も明治時
代には良い国際感覚を持っていた。はてはて、見物させていただこう。

Collision

Rokurakuというシカケを自宅にしかけた。日本のTV番組をインターネ
ット経由で予約、ダウンロードし、ロンドンで見ることがかなう。1
時間の番組が要するダウンロード時間は、約倍から3倍程度。世は実
に便利であり、そういう意味での便は毎日毎日進化している。
Rokurakuに恩恵を全面的に受けている同居人に付合って日本のニュー
スを眺めていたら、イージス艦と漁船が衝突したという報道があった。
僕がびっくりしたのは衝突ではない。翌日の日経の1面にこの記事が
とりあげられ、さらにそのコラムが海上自衛隊の側のみを誹謗してい
たことである。更に調べると、いくつかの他紙でも一面扱いであった。
福田総理に報告がいくまで2時間かかったことを非難するコラムも
あったようだ。
遭難した親子は実に気の毒である。しかし、僕には日経の1面に載る
ほどの事件とはとても思えないし、海上自衛隊が一方的に非難される
事故でもないだろうと思う。イージス艦は7千トン、コンパクト
ではあるが、実のある装備を備えた対空(主に)防衛艦である。沈没
した漁船は7トンであったらしい。
300人の乗組員を抱える7千トンのイージス艦が、いかようにして
7トンの漁船を衝突前に認識して回避できなかったに各紙の論点が集
中している。リスク回避制御が機能しなかったか、リスク回避計画の
どこかに問題があったのであろう。これは海上自衛隊が改善しなけら
ばならない。
しかし僕にもっと不可解なのは、7トンという小さな漁船が、いかよ
うにして、その1000倍の船体を持つイージス艦を少なくも10分間
は感ぜずに、まっしぐらに走って行き、かつ左通行を無視して、自己
を真っ二つに割るまで進んだことである。
誤解を招かないように再び言うが、遭難した親子の安否は分かってい
ないが、実に気の毒である。しかし、この事故で仮にイージス艦が核
をもっていたとしても、衝突相手は7トンの漁船であり、総理に3分以
内に届け出ることにどれだけ実があるのか、僕には分からない。
ワンダーランド日本のtyipicalなinstanceと思ったが、実は僕がワン
ダー日本人になってしまったということか。

1/18/2008

NHS

投稿サボって遅くなりましたが今年もよろしくお願いします。クリ
スマスは皆様のんびりされたり、スキーに行かれたりと多少の骨休
みが得られたことを祈ります。
僕が風邪を引いたのは12月中旬であったろうか。ミニ同居人は母
乳なので平気だろうとたかをくくっていたところ、見事にうつして
しまった。更に、大したことはなかんべーと思っていたが、その後
なかなか大したことになってしまい、クリスマスイブの24日、救
急課に運ぶことになり、その後3晩、病院にお世話になった。ミニ
は回復力が凄い。僕はひとつき経った今でも咳がとれない。誰かに
移せば直るのだろうが・・・
病院というところは、これまであまりお世話になったことは無かっ
たが、今はありがたいものだとつくづく思う。NHSというシステ
ムについて、様々な話を聞いたり読んだりしてきたが、僕は現場は
素晴らしいと思う。ナースやミッドワイフ達は、天使のような人た
ちが半分以上を占めるのではなかろうか。特に赤ん坊や子供を扱う
ワードの人たちは、本当に子供が好きで好きでしようがなく、その
仕事を天職として楽しみながら、かつ厳しいプロフェッショナリズ
ムを同居させて仕事をされている。頼もしくクールだなあと思う。
クリスマスも朝も夜中も問わず患者をいつもどおりにケアしてくれ
る。実にありがたい。
こうしてお世話になった病院での、最後の晩の逸話をはずかしなが
ら紹介してみようかいな。
その日僕は夜間前半(24:00まで)、ミニ同居人のケアをする
担当奉行であった。ミニをなんとか寝につかせ、おっしゃあ本でも
読めるか、と思っていたところに、隣のベッドに一家族が入ってき
た。二人部屋の病室の窓側に陣取った新人は若い母親と、これまた
風邪を相当こじらせたミニであだった。カーテン越しに音しか聞こ
えないが、取り巻きの家族が去ってしまうと、若い母親とそのミニ
はなんだか寂しそうだった。ミニの症状はきつそうで、怪獣の赤ん
坊のようなうめき(聞いたことは無いが)を続けていた。
どうも按配がやばくなってきた。隣人の僕に、ナースを呼ぶのはど
うしたらいいのと、カーテンごしに聞いてきたような気がしたが、
オレに聞いているだろうとは思わず黙っていた。そうしたら更にナー
スを呼ぶにはと聞いてきた。ぱっとカーテンを開けてオレにいふと
るのかと聞いたらそうだという。牢名主の気分を味わいつつ、どう
した姉さん、と聞くと、このままでは赤子がやばいという。僕は呼
び方なんぞ知らん。しかし壁に目をやると赤いボタンがある。そう
だ、同居人がミニを生み出した刹那にミッドワイフがこのボタンを
引っ張っていたっけな。”多分これですよ、”と僕はそのボタンを
引っ張ってしまった・・・
3秒はかからなかっただろう。5,6人のナースの男女が血相変え
て当部屋のドアを蹴散らし入ってきた。”どうしたっ!”、若い母
親は相当びっくりして、いやちょいと赤子が調子悪くて・・・隣の
オッサンにナースコールを頼んだだけなんですが・・・
僕はごめんなさいと平に謝った。ナースの一人は相当怖い顔して僕
を睨んでおったなあ。
深夜後半の部は同居人が担当奉行で、僕は仮ベッドに横たわりなが
らあれこれ考えたナ。
- このナースたちは普段どいういう教育受けているのだろうか。あ
の3秒で血相かえた数人がドアを蹴散らすのを目の当りにした。
プロが火事場でどう動くか見させてしまったわけで 大変申し
訳なかったのだが、プロというのは凄いものだなあとただただ
脱帽。
- 教えてもらっていないボタンは押すな(引くな)。しかし、僕は
中途半端にあのボタンを誰かが引くところを見てしまったので、
この事件が起きた。素人に教えてはいけないボタンは、簡単に押
せない(引けない)シカケを施さなあかん。
- もう家帰ってワインのみたい。
今年も元気に行きましょう。

12/09/2007

A Busker

9月から生みの苦しみにもがき続けてきた。毎度のことだが特に最
初の数週間は暗中模索、一つ問題を解決すると新たな三つの難題が
ふりかかる毎日が続く。赤子のことではない。当社の新しいシステ
ムが昨日ようやく誕生を迎えた。
プログラマと呼ばれる人たちは多少のぶれはあるものの、ほぼ10
年に一度、これまでの仕事を否定されるような愕然とするイベント
を乗り越えなければならない。開発の環境ががらっと変わってしま
うのである。僕の場合、80年代にZ80アセンブラという言語を勉
強しC言語をマスターした。90年代にはMFCという環境で Windows
で動作するプログラムを作った。当時 Microsoftは COM だのCOM+
だの、恐ろしく複雑な開発環境をプログラマに強要していた時代で
あり、その難解さは極まっていた。そしてその流れををせせら笑う
がごとくJavaという優れた環境が登場した。相当数のプログラマた
ちはこれに走った。Microsoftは焦った。そして.NET Frameworkと
いうJavaに対抗する開発環境を作った。僕にとっては最後の10年
毎のイヴェントになるかもしれないが、今回はこの.NETに取り組ん
だ。その開発環境はすばらしい。とはいえプログラマが新しい環境
に取り組むときの苦しみは避けられるべくもなく、昼夜、夢の中ま
で難題に取りくむ毎日が続くのである。これを労働と呼べば僕のこ
の3ヶ月の労働時間は週100時間近くであったろう、まるで日本
にいるようである。
そして、ある日突然全ての苦しみが終わる。体が軽く感じ、新しい
機能の追加なんぞはささーっと作れてしまうこのオブジェクト指向
環境の素晴らしさをマスターしたぞという達成感にプログラマはシ
ャンペンを開けたくなる。
というわけで、ここ数ヶ月、社員や友人達には付き合いの悪いおっ
さんであったが、これをお詫びして平にご容赦いただきたい。赤子
面倒をみているのだろうと思われてたかもしれないが、僕にそのよ
うなことが出来るはずもなく、そのことは同居人が一番知っている
ようでもある。
とはいえ軽くなった体で赤子を登録するという作業はこなしてきた。
日本人が英国で生まれるという特殊性の為、同じような作業を2度
行わねばならない。英国への登録は、簡単な質疑応答で10分で終
了した。日本国への登録は、2通の同じフォームを2種類、更にも
う一枚。本籍なんぞ覚えていないわ、今年が平成何年なのかも知ら
ぬ。そして僕の住所は英国ロンドン市南西15区セントジョンズ通
りなのだそうである、なんのことだろう。赤子の名前は漢字でどう
書くんだっけ。我ながら、このオッサンはいったい何人なのだろう
か、珍しいやっちゃなあ、と思いつつ1時間フォームと格闘し漸く
作業が終わった。
大使館と同じ地下鉄にあるハロッズへ向った。17年間の英国生活
でこれで2度目だ。以前も書いたが僕はこういう環境でぶらぶらで
きないアレルギー体質のようであり、素早く用を足したい。たまた
ま入ったところにインターナショナルインフォメーションがあり、
日本語でどうぞと書かれておる。バウチャーはどこで買えますかと
聞くと地下一階だという。地下一階を歩きまわったが訳が分からん。
たまらずそのへんの店員に聞くと、金額は幾らだという。これこれ
ポンドが何枚というと、それは5階のファイナンシャルサービスへ
行けという。5階といっても広うござんす。漸くたどり着いたらま
さに銀行の窓口だった。化け物のようなデパートだ。アレルギーが
出る前に地下鉄に向ったら、なにか懐かしい音がかすかに聞こえて
きた。エレベーターが降りていくとそれはスキヤキソング、上を向
いてあるこうよ、ではないか。更に近づくと、日本人の若い女性の
バスカーであった。ギターをかかえて、帽子をちょいと被った、気
のよさそうな娘が、その素敵なよく通る声で若干テンポを遅めにし
て歌っていたのであった。思わずポケットを探って一声かけたら、
素敵な笑顔の礼が返って来た。安易なバイトに走る娘もいれば、こ
うして、まあ金目的ではないのだろうが、外国の地で芸を磨こうと
する娘もおる。
彼女はその日朝起きて、今日はやったろうかあと思い、歯を磨き
ながらレパートリから数曲選び、帽子も選び、そしてギターを抱え
てKnights Bridge駅へ向ったのであろうか。世の中の全てを肯定し
たくなるような平和な一日であった。

11/18/2007

Joseph Oliver Yoshida

その暗闇で親にも分からぬやむにやまれぬ事情があったのだろう。
この肉塊は予定より7週間早く、11月6日に世に出た。医者も母
親本人も父親も誰も、母親のおなかの痛みをデリバリーだとは思わ
ず、感染かなにかだと思っていた。父親はその人生で初めて999
に電話した。
あまりに小さな肉塊。覚悟を必要とした。病院の同居人からの突然
の電話が怖い数日が続いた。さいわい、かかってくる電話はすべて
穏やかなものだった。そして2週間が経過しようとしている。医者
はそろそろ家にと仰っているそうだ。ありがたすぎて、世の神仏の
全てに頭を下げたい。
 なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

11/11/2007

British Rock

英国にLed Zeppelin という奇跡のバンドがあった。少年吉田が彼
らの音に初めて接したのは、すでに4枚目のアルバムの露払い曲で
あるBlack Dog がラジオから流れた時だった。確か11歳だったと
思うが、その大人の味がするブリティッシュ・ロックに強く強く惹
かれた。ギターを弾きたいと思った。雑多な洋楽を手にし始めた時
期であり、その後もあれこれ物色していたが、彼らとの衝撃的な再
会は、その解散間際のアルバム、Presenceという作品だった。これ
も露払いであるがAchilles Last Stand という10分26秒の大作は、
15歳の少年を音楽的別次元に運んでくれた。それから30余年を
過ぎたオヤジをいまだに陶酔させてくれるだけの力をこの不思議な
曲は持っている。Zepのデビューアルバムの露払いは Good
times, bad times という曲だが、これも凄い。60年代後半の当
時、これで腰を抜かした若者が山程おったであろうなア。アルバム
の露払い曲は最も重要なのである。人をして外国の地まで運んでし
まうだけの強い影響力を持つのであろう。
ZepはドラムのJohn氏の他界を直接原因として解散となった。何し
ろ、奇跡のような4名が集まって10年活動したバンドであり、一
人とて欠けてはZepは存在しない。来月、Jon氏の子息がドラムを担
当してロンドンでコンサートがあるそうだ。勿論 ticket のアプラ
イをしたが、とくに大きな期待はしてはいない。同窓会のようなも
のであろう。無論当たっては欲しいが

10/28/2007

Win X

カラオケで歌うという機会はめっきり減ったが、たまには楽しいね。
以前も述べたが、芸の無い僕は大体は松田聖子あたりで露払いし
た後はひたすらもりたて役、その後は酒かウェイトレスとじゃれあ
うのが常だが、隣席ではマイクを離さないまでも、店を去るまで歌
のメニューを離さない方も割りと多い。こういう方達は、まずカラ
オケが上手である。聞いたことも無い新しそうな歌を上手に歌われ
るので、うらやましいなアと思う。
僕の友人にG君という英国人がいる。僕より一回りほど若い彼はご
両親がどちらも大陸生まれであり、某国系二世とでも呼べようか。
実に天真爛漫、愛すべき超明るい大陸系G君なのである。僕がロン
ドンに渡って1,2年も過ぎたころ、彼とは週に3度はパブで一緒
に飲んだであろうか、僕にとっては英語の大先生である。英語を学
ぶに際して羞恥心をいかに克服するかは重大な課題である。パブは
羞恥心を酒と共にかき消してくれるし、英語での話し相手が日本人
でない時は、旅の恥書き捨て的な軽さを伴い、グラマーなんぞは忘
れてぺらぺら喋れるものだ。これは貴重な勉強となる。いつぞや、
flu が流行った時、僕は furu としか発音できず、大いに彼に笑わ
れ、その後パブ客のほぼ全員が店員も交えて furu の大合唱となり
笑の的になったことがある。不名誉ではあるが、楽しい思い出であ
る。
G君とはそんなこんなで、彼の母国に一緒に旅行したし、日本にも
一緒に行って僕の函館の実家にも滞在してもらって、英語を話せな
い両親を笑わせてから、京都や四国にも共に足をのばした。東京に
行けば行ったで、人気者の彼のもとには、以前ロンドンで一緒に仕
事をしていた仲間達がなんやかんやと集まる。そしてカラオケが始
まる。普通はひたすら酒と喋りになるのだろうが、G君の凄いとこ
ろは、知りもしない日本演歌の旋律を器用にものにし、しかし日本
語はできないので、唯一知っている”いち、にいー、さんー、しいー”
をひたすら続けながら演歌を熱演するのである。これは文字では表
すことはむつかしい。仲間は抱腹八倒、笑いから回復するのに30
分は要するという、物凄い瞬芸を披露してくれるのであった。曲は
演歌なら何でもよいのであろうが、みちのく一人旅、だった。山本
譲二さんの曲であろうが、G君と名前が同じところがいとおかし。

10/10/2007

Q4 has started

いやはや、大分サボりました、申し訳が立ちません、ごめんなさい。
さてさて、この間にも色々な事がありました。
[テニス]
フォアに迷いあり。もともと下手なバックには惑い無く、意外と良
い球が返ります。ティピカルな脱初心者問題にはまっています。
[赤ん坊]
我が第一子がクリスマスに誕生予定だそうな、ひゃア。無事育って
くれて20歳になったとき僕が66歳かと思うとゾッとしますし、
それまで生きているかいな。否、20歳まで金だけではなくて精神
教育すべきは、勝手に赤ん坊作った親の責任でありましょうぞ。と
まあ偉そうなこたー抜きにして、一層の健康管理だなあ、そろそろ
まじめに酒をなんとかしよう。
[ストライキ]
この前時代的な催し物は、UKでは今でもさして珍しいことではなく
て、毎年平気で地下鉄が止まりますね。今夏は二日間ほどやられま
したが、僕の場合、ストの影響の無い国鉄駅まで電車で移動し、そ
こからオフィスまで徒歩で50分程かかることを2度観測しました。
観測には少々汗をかきましたが、健康には良いですね。ユニオンの
皆さんありがとう。あまり参考にはならないと思いますが、僕の場
合、雇われ人であった40歳まで、一度も待遇に文句を言ったこと
はありませんし、それを言う前に静かに転職してきましたので、心
の健康はそこそこでしたし、まして経営者になった今は文句を言え
る対象が存在しません。
[ Liverpool Street Station近辺の文化]
年中道路工事。車の混み様は東京より酷いかも。浮浪者は当オフィ
スビルの喫煙コーナーに、今年は既に2度、茶色のお土産を置いて
いきましたが、これを朝一番に発見せざるを得ないときは、いつも
おぞましい気持ちになります。煙草をくれといわれて、Noと断わる
と、大体はおまえはセコイだの、なんだの、逆攻撃されます。毎年 Rates
という相当なお金を払ってこの場所にいるのに、なんだか理不尽だ
と思います。Kings Cross あたりは90年代に大分浄化されたようで
すが、L市長さんこちらもよろしくね。
[マドリン事件]
これはどうにも自業自得。自己責任・自己解決、がベースのUKな
のに、これだけUKメディアに取り上げられるのはベースが変わって
きているのかなあ。僕はUKの大人ベース文化が好みなので、大分残
念。
[経営]
うまく廻して頂いているので、安心して部下に浮世の商売を任せて
います。システマティックにやってきたつもりですが、やはりがむ
しゃらの6年間だったことは否めず、最近の僕の主な仕事は、僕が
やってきた、がむしゃらdirty仕事のクリーンナップです。自己責任
・自己解決。ビジネスのオブジェクツを洗いなおして、クラス化し、
データ化する、という構造化志向プログラマ的アプローチに没頭し
ています。少なくとも3年後には、この数週間の仕事が会社に貢献
することを確信しつつ。
[反省]
僕のここでのblogは専門的すぎて、分かりにくいと良く言われます。