8/28/2007

A sad man

僕のふりをした男は夜中の12時ちょっと前に実家に電話をかけて
きたそうである。函館の母親が眠い目で電話に出ると、風邪を引い
てオレは最近調子悪いんだという。あんた、ロンドンは寒いのと聞
くと、今年はロンドン寒いんだよと言ふ。あれこれ心配して話を進
めると、最近男性機能が動作せず、医者にも見てもらったがどうに
も駄目で困っているという。話を聞いているうちに、話題がおかし
くなり、更に男の性的興奮が高まり鼻息が荒くなり、あまりのこと
に僕の母親は頭痛が始まって電話を切ったそうだ。その後、眠れな
い一夜を過ごしたことは間違いないだろう。
結果から言うと、いたずら電話である。最初はオレオレ詐欺かと思っ
たが、そうでもないらしい。翌日、母親に電話をもらった僕と同居
人は、最初何のことだかさっぱりわからず目が点になった。
というのは、僕の両親が二人ともすっかり騙され、翌日まで僕から
の電話だと信じて疑わず、息子は頭がどうかしてしまったア、困っ
たアと、一晩心を痛めていたらしい。
わりと信用されてねえよなア、と同居人と苦笑いしつつ、婆さんを
相手にしてまでも自己の性的欲求を達成したいと欲し、かつ行動に
結びつけてしまう、この幼稚な男のバットを、本物のバットで潰れ
るまでへし折ってやりたい気分である。
その後暫く、僕はこの男のことをつらつらと考えてしまった。東京
に住んでいるのであろうか。一人暮らしなのであろうことは濃厚で
あるが、低い可能性ではあるが結婚しているのかもしれない。昼間
は紳士な会社員で女性にも多少もてるかもしれないし、まったく女
性に相手にされない男性としての魅力が皆無に近い男なのかもしれ
ない。今回のいたずら電話には、相当”慣れ”が見える。過去にも
最低、数回の履歴があるのだろう。この先、この男はいったい何度
このような行為を繰り返すのであろうか。この、他人を不幸な、い
や~な気持ちにさせる趣味を、自らターミネートすることができる
イヴェントはどのようなものになるだろうか、最終的には警察やソ
シアルワーカーの助けが必要になるのだろうか。
先週、タマタマ健康診断を受けた。生命保険に入る際の条件であり、
気の毒にも僕のGP(かかりつけ医)は、僕のパンツを下ろしてその
あたりをつぶさに観察するという義務を生命保険会社から機械的に
指示されていたようだ。これは観察される方も、ものすごくこっぱ
ずかしいが、まったく先生の方が気の毒である。何度かおもわず
sorry と小声で呟いたが、やさしい医者で、向こうも sorry と何
度か言ってくれた。
健康な男同士の会話は、通常このようなやりとりになるはずであろ
う。

8/19/2007

Roulette

古い表現だろうが、飲む、打つ、買う、というのがある。今日は、
打つ、の分野に属するカジノに関して。
僕は浅田次郎さんの小説のファンであるが、氏は競馬のプロである。
長年続けて勝っておられる。こういう方はプロのプロでも珍しく、
ほんの一握りのプロだけである。その希少な方が、競馬とは必ず負
けるものだ、と断言されている。まちがいはないだろう。
僕はロンドンや大陸のあちこちのカジノで結構な期間遊び、賭け方
のメソドロジーもそれなりに研究してみた。その後、勝てるはずが
ないことを悟って卒業した、という訳ではなく、時間と金を使って
その行為を楽しみ苦しみ、もうええわ、というところで卒業した。
勝つこともあった。数時間勝負で、ちょっとした車を買える位の馬
鹿勝ちをしたこともある。しかし、結局負けるのである。その時間
軸が長いほど、必ず結果的には負ける。勝とうと思って行くべきと
ころでは無いのだ。負けるのだけど楽しい、のが健康的なカジノ屋
さんの楽しみ方である。
ルーレットを例に取ってみよう。英国の場合、盤に0から36の数
字が並んでいる。ルーレットを回して白玉を投げ、玉が落ちた数字
が当たりとなる。当たりの確立はシンプルに 1/37 である。仮に1
ポンドのチップを全ての数字に置いてみよう。37枚(ポンド)の
うち、必ず1枚が当たりとなる。当たればなんでも嬉しい。しかし、
配当されるのは35枚(ポンド)なのである。2ポンドの負け。カ
ジノという大元は 2/37、会計的に言うと 5.4% を荒利として商売
しているのである。普通の商売では成り立たない程の低い荒利率で
ある。
カジノが良心的な博打屋であることが分かるだろう。賭ける方から
見れば、94.6%という高勝率なのである。これは競馬やロンドン市
内に多数存在する賭け屋に比べて異常に高い還元率である。ルーレッ
トというと、なにかディーラーが技を使ってかけた数字を外すと信
じている方もいらっしゃるようだが、近代のカジノでそういう商法
を取れば、一週間で客は寄り付かなくなるし、大体そのディーラー
は初日で首になる。ディーラーには、とにかく数字をばら撒くこと、
ランダム性を指導する。
これほど高い勝率なのに、なぜこんなに負けるのか。それはヒトの
心理とか色々あるが、確実なことは、大元が5.4%という微妙な数字
を、荒利として設定して、確実に儲けるからである。確立とは、サ
ンプル数が多いほど計算どおりになる。カジノの場合、サンプル数
は一日の売上げ(客が幾ら使ったか)と、何日間営業したかの掛け
算となる。新装開店のカジノの初日は、もしかして赤字になるかも
しれない。しかし、何日も営業を続ければ、ルーレット台からの荒利
率は5.4%に限りなく近づくのである。
前述したように、5.4%という荒利率は、可哀想な位、商売としては低
い。ここからディーラーに出す給料や設備投資を捻出しなければな
らない。カジノ経営者達の最大のミッションは売上げを伸ばすこと
だ。他の商売と違って、売上げが伸びれば確実にその5.4%の荒利が
出ることがわかっているから、イベントを企画したり、頻繁に内装
工事を行ったりと、客の引き込みに必死なのだ。ディーラーによる
操作の教育なんぞやっている暇は無いのだ。
さて、ここ数年の僕の博打道は、年収の1%を年に1度か2度どば
っとカジノで賭けてみる、というものである。素敵な女性に同行し
て頂くと、大半は初めてという方が多いので、ビギナーズラックが
期待できて更に楽しい。そしてカジノというあの独特の雰囲気とカ
クテルなんぞをお楽しみ頂き、儲けたら利益折半、負けたらそれま
でである。今年は既に2度通い、一度目はちょいと負けた。2度目
は結構勝った。折半利益は僕の同居人の懐に収まった。ラッキーな
奴だ。

8/12/2007

茫洋

本日、日曜午前の初級テニス会が終わったら、午後は東京から遊
びに来る友人をヒースロー空港にてピックアップし、軽い夕食を皆
で共にするつもりでいた。この友人は以前テニス会で仲良くしてい
ただいた方でもあり、食事はどこにしようか、とテニス仲間に切り
出したら、吉田さん、それって来週末のことですよねえ、と言われ
て良く考えたらそうだった。あぶね、延々とLHRでひとり待ちぼ
うけ喰らうところだった。
金曜日もそうだった。同居人が病院で定期検査があり、てっきり1
0時半だと(前回がそうだったので)思って予定を組み立てていた
が、実は午後2時からだった。午後からは出張が入っていたので、
同行できなかった、わりいわりい。
会う人が多くなったこともあるが、それにしても人様の顔が思い出
せなくなってきた。名刺を眺めても顔が浮かばないことが頻発する
ようになった。会合などで、久しげに挨拶されても、にやにやして、
いやーその後お元気ですか、などととりあえず場をとりつくる自分
は困ったものだと思う。
もともと切れの悪い頭がどうも年を重ねると共にさらに悪くなって
きた。更に、先祖のせいにするのは申し訳ないと多少思うが、O型
の良い加減な性格がより顕著に現れてきたように思う。
若い頭脳にはどうしても敵わないことが増えてくる。敵わないもの
は、任せるべきで、無理やり自分でやるのは年寄りの冷や水と呼ば
れる。おっさんは、その長い経験から築いた危険予知能力や第六感
が必要とされるところで仕事すればよいのだろう。本人はなはだ不
本意ではあるが是非もなし。分相応。
ここまで書いて僕は煙草を吸いに外にでた。と、なんと向かいのフ
ラットの入り口でお爺ちゃんがボコッと倒れているではないか。こ
らあかん、と思い小走りに寄ったら、我がフラットの隣から、真っ
赤なシャツを着た若者が脱兎のごとく駆け寄って、お爺ちゃんをい
ち早く抱きかかえた。幸い大事は無かったようで、よかった。爺ちゃ
ん腕をちょっとすりむいていた様だが、事なきを確認したら、若者
はささっと自分のフラットに帰っていった。スーパーマンのような
野郎だと思った。当社にCV送ってきてくれないだろうか。
やはり敵わないなあ、このスピード、勢い、身から自然にでる義務
感。自分は若者のときどんなんだったろう、と回顧するような年齢
になってしまった。

8/08/2007

Solution

漸くロンドンが暑くなった。とはいっても30度をヒットすることは
なく、昔のような、おとなしいロンドンの夏、である。
7月下旬には大雨が何度も降って、イギリス西部やウェールズで洪水
となり被害が出たが、僕がホリデーから帰ってきたその日の午前中に
も大雨だったそうで、ガトウィック空港からパットニーの自宅まで、
2時間強のドライブをさせられた。なにしろガソリンを喰う車なので、
渋滞中にガス欠になったらカッコわりいなあ、と心配になる。
ところで、今のバイクには燃料残量計がついているのだろうか。僕
が乗ってた昔のバイク達には、無論そのようなものは装備されてお
らず、タンクをパシッとビンタしたときの音や、注入口の蓋を開け
て、ちょっとバイクを傾げたりして残りの量を確認していた。更に、
燃料の蛇口のようなレバーがどのバイクにも装備されていて、Main,
Off, Reserve というオプションがあった。通常は Main にて走り、
ガソリンが切れるとエンジンがボコボコッと切れそうになる。その
刹那にクラッチを切り、片手でレバーをReserveにひねり予備タン
クに切り替えアクセルを吹かす。エンジンが切れてしまったら、慣性
でそのまま押しがけ始動し、予備タンクのガソリンで、なるべく早
くスタンドに駆け込む、という技を覚えるといっぱしのバイク乗り
というものだ。タンク内部に仕切りがある、という実に簡単な仕掛
けなのだが、とても賢いと思う。
ちなみに、初めてバイクとそのメカに興味を持った少年の頃、バイク
雑誌によくでてくる、この”リザーブ”という単語が何のことかわか
らず、多分ガソリンが切れたら、サントリーのリザーブをタンクに注
入し、このレバーを Reserveに倒すと、混合比か何かが変わって、や
やも暫く走れるのだろう、と本気で思っていた。あっはっは。笑い
ついでにもう一つ思い出した。
初めて手にしたバイクは、カワサキのTR250というバイクで、多分函
館には僕の所有する一台しか存在しなかったであろう、珍しいマイナー
なものであった。そもそもカワサキの小売店が函館では一件しか無か
った。パーツの入手は、いちいち取り寄せとなり、たいそう時間が
かかった。
ある日、(あ、まさか食事しながらこれをお読みの方は居ないでしょ
うね)バイク雑誌で勉強した”チェーンを煮る”という整備をやって
みたくてたまらなくなった。まずはチェーンを外さねばならない。チェー
ンというのは、蛇が自分の尻尾を咥えているような按配になっており、
口と尻尾のところは、クリップ金具を挟んで連結するシカケになって
いる。これをカチッと外して、ガソリンとワイヤーブラシでチェーン
をきれいに洗い、その後、粘度が重めのエンジンオイルを空き缶に入
れ、下から弱火で暖め、暫くチェーンを寝かしておく。これでチェー
ン全体にきれいな油が行き渡り、その後のライドがとても気持ちいい、
というのである。ほら、どうにもやってみたくなるでしょう?
そしてチェーンを煮終わった。オイルというのは、勝手に下水や土に
流し込んだりしてはいけない。ガソリンスタンドに持って行き処理し
てもらうのが正しい方法なのだが、肥溜めに流しちゃえばいいじゃな
いか、しめしめ、とこずるい発想に自己満足した。この慢心が事故
を招いた。クリップも一緒に煮ていた事をすっかり忘れ、オイルと
一緒に肥溜めに捨ててしまったのだ。さあどうしよう。
紅顔の吉田少年、熟考一番、磁石を思いついた。兄がバイク好きであ
ったので、吉田家のガレージにはガラクタがいろいろあった。物色し
ていると、フライホイールが目に付いた。これだ。少年は、磁石に針
金を取り付け、息を止めながら愛する家族全員のブツが鎮座する肥溜
めを掃海すること3度目、見事クリップを奪還したのであった。うーん。
ちなみに当時の函館市宮前町に水洗という文化は到来しておらず、ど
この家も汲み取り式であった。今からちょうど20年前の夏の盛りの
こと。

7/28/2007

Arbeit

いまだと児童保護法かなんかでパクられるかもしれないが、僕は小
学4年生の時に、仕事をして対価を得るという楽しみを覚えた。当
時はこのあたり、おおらかだったのだろうが、さすがにおおっぴら
にはできないので、新聞配達の中学生か高校生の兄ちゃんの子分に
してもらい、集配所に入ってひたすらチラシの折込をする、という
バイトを続けた。対価は忘れたが、驚くほど安かったと思う。それ
でも小学生には大きな魅力であった。中学に入ると部活動を始めた
が永続きせず、結局その新聞配達集配所に戻り、こちらの方がはる
かに長くなった。毎日1時間強、重い新聞を120件程配達して、
月収が3,4千円だったと記憶している。田舎の中学生には、こん
な割の合わないバイトしか選択肢がなかった。今でも風邪などをひ
いて多少熱がでると、夢の中で、どの家に配達してどの家に配達し
てはいけないのか判断がつかず、汗をかくあたりで目が覚めて、あー
夢でよかったとなる。
以来、様々なアルバイトで稼いだ。高校生、というか僕は高専とい
う毛色の変わった学校へ行ったのだが、普段はサッカーとバンドで
忙しくバイトが出来ない。夏や冬の休暇中に稼ぐことになる。
XXコーラのルート・セールスのトラックに乗りこみ小売店を訪ね、
1ダースの木箱を4つ同時に持って移動する術を覚えたのは嬉しか
ったが、これは体力的・時間的に大変きつく、僕の中では今でもこ
の会社はバイトをこき使うNo1に位置している。日給3,500円。
旧国鉄の設備保守のバイトを近所のオジサンのコネで貰ったが、実
際には仕事が無い。精々列車の車軸に紙やすりを当てる程度。昼に
弁当食べて夕方風呂に入って帰ってくるようなものである。すなわ
ち単なる員数合わせなのである。組織体質がそうだったのか組合が
強かったのか知らんが、そういう社会の一面も見させてもらった。
これは一日3千円位だったろうか。
北海道らしいバイトとしては、当時活躍していた青函連絡船のキッ
チンがある。キ**クが雇用主であり、社員腕章を貰うと、青函連
絡船に自由に乗り降りできる(これはバイトをやめてからも暫く役
に立った)。往復で10時間の間に、レストランが6時間程開店し
ている。この間に皿を洗う、グラスを磨く、子供のゲロを処理する
というものである。この往復を1日に2回行う時と、3回行うとき
がある。3往復だと30時間となるわけで、当然仮眠はするものの、
さすがに陸が恋しくなる。そして、今でも謎だが、2回往復しても
3回往復しても、なぜか対価は5,800円固定なのであった。
更に北海道らしいのは芋掘りだろうか。これはカ*ビーが雇い主で
あったが、冷夏にてジャガイモの確保が難しかった年である。学生
バイトを雇って農協・農家に無料で送りこむ見返りに、ジャガイモ
の供給を確保するものであった。朝5時半にバイクに乗り、集合場
所の農協・事務所へ向う。ここでランダムに行き先の農家が決めら
れ車に押し込まれる。慣れてくると場所もわかって農家にバイクを
飛ばす。そして朝6時から夜6時まで、ひたすら芋を拾うのである。
日給6千円、すげえバイトだったなあ。我々の掘った芋が、ひそか
に農協以外に向けて出荷されていったのを目撃したこともある。し
たたかなものだなあと思った。
函館は港町ということで、倉庫商売も盛んだ。マイナス20度の冷
凍庫に入って、烏賊の冷凍塊を入出させる。寒いなんてもんじゃな
いが、その1時間後には外に出て、今度はトラックの荷台の中で大
汗かいて作業する。2週間も続けただろうか、とうとう風邪ひいて
ぶっ倒れた。さすがに親に、このバイトだけはやめてくれろ、と言
われたのでやめといた。
その他、場末のスナックでキャンディーズを演奏させられたり、こ
こには書けない数々のバイトもこなしたが、学生生活も終りに近づ
くと、多少知恵が出てくるものである。
僕のバイト人生はパチンコ屋で完結する。高専も卒業年になると自
由時間が多い。いや、本来は卒業研究に没頭することになっている
のだが、勘違いしてパチンコに没頭した。平日の朝から晩まで、毎
日同じパチンコ屋に通えば、当時のパチンコ屋のシカケだと、どう
しても勝ってしまうのだ。今はデジタルやら777とかなんとか、
店のコントロールが強いのだろうが、当時は毎日通って多少の予知
能力があれば大体勝てるのであった。万単位で勝つこともあった。
こうして平日はパチンコ屋に通い、気が向けば学校にタクシーで通
い、週末は優雅にバイクと遊ぶ(週末は素人衆が多く商売しずらい)。
今思えば夢のような学生生活の日々が過ぎ、卒業し、東京に出て社
会人となり、初めて手にした月給は、パチンコ人生の2週間分程度
のものであった。

7/21/2007

Smoking Ban

吸う人も吸わない人もご存知であろうが、英国では7月1日に
Smoking Banが施行となった。
イタリアやアイルランドでは昨年に施行を終えており、いつかは来
ると思っていたが、本当に来てしまった。僕はタバコを嗜む、なん
てえもんじゃなくて、言ってしまえば女房役のようなものである。
例えば物事を考えたり作ったりするとき、熟考一番、ひらめいたも
のを文章や図面にするなりプログラム言語に表現し推敲する。もう
良いぞ、というところでライターをカチッとつけ一服、頭を冷やし
てからまた次のステップに進む、という作業を20数年続けてきた。
アイスクリームで言えばウエハー役である。僕に何らかの仕事上の
作品があったとすれば、それは全てタバコと共に創作してきたもの
である。なので、10年前にオフィスでタバコが吸えなくなった時に
は驚いた。そんな環境で仕事なんて出来るのだろうかと思ったが、
当時は喫煙部屋を作ってくれたり、ビルの外に出て一服、なんとか
その習慣に切り替えた。それでも週末に自宅のPCの前に陣取って、
タバコを燻らせながら進める仕事効率の抜群の良さは否めなかった。
今回は、公衆の集まる場所からの全面禁煙である。レストランは良
い。これは明らかに人様に迷惑のかかる場であり、文句を言うほう
が無理であろう。しかしパブは困る。パブは、喰うという人間の原
始的、生理的欲求を満たす為のレストランとは明らかに違う場であ
り、もっと高尚な場なのである。難しい仕事の話もたまにはするし、
どうやって人を笑わせるか常に考えているし、大変に知的な場なの
である。こういう知的作業が必要な場からタバコを法律で追い出す
のは実に情け容赦の無い殿様のやることであり、これを決めた奉行
たちはきっと良い死に方はせんだろう。英国では施行にあたって様
々な案があった。例えば、食事を出すパブとそうでないパブに仕分
けし、後者はオーナーの一存で禁煙・喫煙が決められる、という英
国人らしい処理案があった。メンバー制のクラブでは、メンバーの
同意で喫煙OKにするという、これまた英国らしい処理法も意見さ
れた。結局は全て却下、全面禁煙となったのである。90年前半に道
路にスピードカメラが取り付けられ始めたとき、英国文化の良さが
また一つ消滅したと残念に思ったが、同様の感がある。
更に追い討ちをかけるように、我が家も7月1日からSmoking Banが
施行された。これには驚愕した。そんなことは全く考えていなかっ
たので一瞬頭が白紙になった。禁煙奉行は無論同居人であり、猛烈
な抗議を試みた。せめて2nd bed room で、と小さな声で最後の抗
議を試みるも一蹴、かくて我が家は全面禁煙となり、英国的良質文
化がまたひとつ消滅したのである。これを決めた人はきっと・・・や
めとこ;
ところで私の顔は真っ黒である。いや、タバコのヤニではなく、一
週間のビーチ・ホリデーの結果である(先週の投稿さぼりました、
ごめんなさい)。もともと地黒であり、更に日焼けしやすく、かつ
また赤くならずに当日そのまま黒くなる、という函館人にも相当珍
しい特異な体質なので、ちょっと日本人に見えなくなってしまった。
そんな顔が真っ黒の白髪のオヤジが自宅の前のストリートでぶらぶ
らタバコを吸っていると、通行人が嫌がる、いや、嫌がっているよ
うに僕が感じる。
ということで、大変肩身の狭い寂しい思いをしておる。いっそのこ
と止めてしまえと人は言う。言わば言え、30年も連れ添った女房役
をそう簡単には捨てらんわい。

7/07/2007

Freelander

僕の父親は国語の教諭をしていた。いわゆる文系であるが、当時ワー
プロを仕事に取り入れたり、今でもそこそこパソコンを使いこなしており、
多少は技術っ気があるのかもしれない。僕は根っからの技術系なの
だと思う。結局電気屋になったが、機械屋になってもいいかなと思
う時期があった。
中学に入って自転車に興味を持った。サイクリスト?名前は忘れた
が月間雑誌をせっせと読み、新聞配達で稼いだ金をパーツにつぎ込
み、親に買ってもらったごくふつうの黒い自転車が、見た目は軽快
なイエローのスポーツタイプに変身した。高校では無論バイクにな
る。今時のバイクはコンピューター制御されているのであろうが、
昔は機械のみの塊であり、そこそこ単純なもので、少年の技術心を
十分に満足させてくれた。
カワサキのTR250というオフロード・バイクのエンジンをばらばら
にしてシリンダーヘッドを磨いたりして楽しんだ。このバイクは月
に一度はポイントを磨いてタイミングをとってあげないと機嫌が悪
くなるしろものであったし、ケッチンがひどく何度も足に痣を作っ
た。機嫌がよいとその加速はすばらしいものがあった。可愛いバイ
クだった。その後ホンダの良心と呼ばれた CB 400 Fourという素敵
なバイクが愛機となった。函館から1時間弱で大沼公園という観光
場所に着くが、ここの湖畔が格好の私レース場となった。今思えば
実に危なっかしいことをしていたもんだが、していないよりはよかっ
たと今思う。男の子はなんでも体験すべきだ。
自動車の免許をとったあたりから、機械熱はさめ、ただの乗り物に
なってきた。とはいえ今でも車の運転は好きなほうだろう。何時間
乗っていても苦にならないし、天気がよいとドライブも良いもんだ
なあと思う。
何度かこのブログに登場した真っ赤のアウディーがとうとう我が家
を去った。10年以上も僕に付き合ってくれたんだから、写真ぐらい
撮っておけばよかったかと多少後悔している。そして我が家に新た
に登場したのは、濃紺のランドローバーである。このような高い
(値段ではない、車高のこと)車に乗るなんて思ってもいなかった
が、車好きの社員が最近新車に乗り換え、売りに出ているところを、
さっと買ったものだ。社員の中古を社長が買うのは変人だという声
もあるが、そんなことには僕はまったく頓着しない。僕が尊敬する
伊藤忠会長の丹羽さんは、社長時代にも電車通勤し、マイカーはカ
ローラだったそうな。あっはっは、あっぱれ社長。
この車は少なくとも7、8年程度は動いてくれるだろう。実に安く
売ってくれて、ありがたいと思う。動けば良いと思っていたが、乗
ってみると、とっても楽しい車なのに気付いた。 Free Lander と
いう車だそうだが、エンジンがなんとV6で2.5リッターという強力
なもので、重い車体なのに加速が大変良い。オートマなんだけども
マニュアル・モードがあったりして、機械心も擽ってくれる。当面
ドライブが楽しくなりそうだが、天は二物を与えず。大食いなのだ。
ペットロールのゲージが目に見えて減る。まあ年に2千マイルも走
らないので良しとしよう。長生きしてくれよオ。

7/03/2007

Transfer pricing

当社グループは4月に再編を行い、東京店が本社・親となり当店は
子となった。これを機会にちょいと勉強してみると、移転価格とい
うものがあることが分かった。
例えば、当社の本社である東京店が営業し、欧州での仕事を100円
で受注したとしよう。ごく当然ながら子会社である当社が実際の仕
事を欧州で担当する。わざわざ当店の競争相手に仕事を与える馬鹿
な親はおらんであろう。
さて当店ではこの仕事を70円で請け負ったとする。即ち東京本店は
30円の荒利となり、当店では売上げ70円からコストを差し引いたも
のが荒利となる。ここで、移転価格という概念では、はたしてこの
70円という請負い金額が、世間一般で取引されている価格とかけ
離れていないかどうかが問題となる。
仮に70円が世間一般と比較して大安売りだとすると、英国の税務
署が文句をつけてくる。もっと高く売れたはずだろう、その”はず”
の数字に対して企業税を払えと。
逆も真なりで、70円が世間相場よりも高かったとすると、今度は日
本の税務署が文句をつけてくる。子会社なので、高く買ってあげて
便宜を図っただろう、ついては高く買った分に対して企業税を払え
と。
上の例のような単純な売買のみならず、”技術”や”知的財産”に
も移転価格が適用される。親会社が開発した技術を使って、海外子
会社が製品を作って販売した場合、日本の税務署は黙っていない。
開発元である東京本社に対して、おまえはタダで技術を子会社に供
与した、ついては子会社がそこから得たであろう予想利益に対して
企業税を払えと。
親が我が子に愛情や教育や生きていくための食料や物資を無償であ
たえることは、ごくあたりまえの行為であろう。動物的な本能とい
える。そこに国家がしゃしゃりでて税金をとるのは何ゆえか。
さらに、移転価格の対象者は、国際的に活躍し既に企業税を各国で
納め、世界的な雇用機会を創造してきた企業であり、すでに十分な
社会的責任を果たしている。何ゆえ更なる税金、しかも世間一般と
いう実にあいまいな数字基準を持ったもので絞り上げる必要がある
のか。基準があまいために、この税務署調査には膨大な時間が費や
され(即ち税金が使われ)、膨大なディスピュートが発生するだろ
う。
僕は今のところ、この仕組みの本質が分かっていないのだろう。偉
い人たちが考えたものであろうから、様々な理由や利便もあるのだ
ろう、誰か教えてやってつかあさい。

6/23/2007

日経ビジネスという雑誌がある。雑誌という性格上やむを得ないが、
調査の掘下げが弱いなあとぶつぶつ思いつつも、なるべく電車で斜
め読み程度はするようにはしている。今週号では、2枚の顔写真が、
別々の記事であったが、対照的だった。一方は、循環取引を続け千
億円水増し世間に叩かれている会長。この方は自ら起業されたが、
50年目にして躓いた。一昔前の悪徳政治家のような写真が載ってい
る。
他方も随分昔に起業しヒット作を何度も世に出てきた食品会社会長
だが、この方は個人で100社以上の優良株を大量に保持する個人投
資家としても有名だそうな。この投資家は株を売ったり買ったりは
せず長く保持するそうで、短期的な投機はしない。ただし、リーズ
ナブルな配当金をしっかり要求する。取締役会にとっては、頼もし
い資金提供者であり、かつ厳しいお目付け役にもなるだろう。理想
的な投資家ではないだろうか。実に良い顔写真が載っている。
どこぞで読んだか忘れたが、リンカーン大統領がどうしても毛嫌い
する政治家が居た。側近が思いあまって意見すると、顔が気に喰わ
ぬと言う。この人格者である閣下が人を顔で判断するは如何かと諫
言すると、40をこえた男は自分の顔に責任を持たねばならぬと。
日頃考えること、心がけること、行動によって男の顔は30代あたり
で変わるという説に僕も同意する。
成田空港の本屋でなにげ手にした本が大当たりだった。ポンティン
グ氏という英国人写真家が明治時代の日本について、大量の写真と
共に書かれたものである。日露戦争に従軍され、奉天に児玉源太郎
陸軍大将を訪問したり、上村彦之丞海軍中将の自宅を訪問したりと、
ポンポンと僕のヒーロー達が登場する。残念ながら彼らの写真は掲
載されていないが、一枚だけ実に印象深い写真がある。
黒木為楨陸軍大将が、ポンティング氏を右に置いて、側近たちをま
じえた記念撮影である。暫く動けなくなった。なぜなら僕の想像力
で描いていた黒木大将の映像ががあまりに矮小なものだったからで
あった。黒木大将が作り出す空気がそこに嗅がれる。風格などとい
う単語は陳腐にさえ感じられる。写真がモノを言う。そしてまた、
大将の周りを固める士官や、ポンティング氏を含めた英国人従軍者
達の顔達がこれまたすごい。
昔の日本には凄い人がなんにんもいた。明治時代に生まれたかった。

6/09/2007

CSR

5、6月は日系企業で海外赴任や帰国が多く発生する時期でもある。
今年も仲良くなりお世話になった数人がご帰国となり、しばしの別
れとなる。寂しい限りである。確かに国際電話があり、インターネッ
トがあり、電子メールがあり、カメラさえある。連絡手段には事欠
かないのだが、それは一枚のハガキの領域をさほど出ない。時間と
空気の共有が格別なのである。給与改定時のどたばたが落ち着いた
と思ったら、当社でも人事のどたばたが始まり、今年も人材の動き
が激しい初夏となった。
ちょいと前までは、企業は人、金、物といわれたが、今流行のCSR
(企業社会責任)風にいうと、社会、経済、環境だそうな。企業は
法人市民として社会責任をまとうせねばならない。ごもっとも。し
かし環境だなんだというのは、当社のような小企業には大上段すぎ
て白々しいし、上場していないので株主なんてどうでも良い。当社
はヒトの年齢でいえば小学6年生あたり。ぶっちゃけたはなし、悪
いことをしないで、真面目に仕事し、出来るだけ金を儲けて、税金
を毎年国家に納め、残りの金で会社を大きくする、のが当社のCSR
だ。
この際、サービス業の当社に最重要なのはヒトである。そのヒトが
一時期に複数出たり入ったりするのは、なかなか賑やかな風景でも
あるがゾッとする瞬間でもある。最近、こんなちんけ会社にも興味
を持ってCV(履歴書)を送ってくる前途有望なヒトが徐々に増え
てきている。聞けば当社のWebページを読んで応募したという。
確かに昨年相当の時間をかけてリクルートのページを書き込んだ。
これはホントにしんどい作業であり、できれば分散したいが、当面
人事のことは僕に執行責任があるだろう。面白いページには、確実
に反応があるのは分かっているのだから。