7/28/2007

Arbeit

いまだと児童保護法かなんかでパクられるかもしれないが、僕は小
学4年生の時に、仕事をして対価を得るという楽しみを覚えた。当
時はこのあたり、おおらかだったのだろうが、さすがにおおっぴら
にはできないので、新聞配達の中学生か高校生の兄ちゃんの子分に
してもらい、集配所に入ってひたすらチラシの折込をする、という
バイトを続けた。対価は忘れたが、驚くほど安かったと思う。それ
でも小学生には大きな魅力であった。中学に入ると部活動を始めた
が永続きせず、結局その新聞配達集配所に戻り、こちらの方がはる
かに長くなった。毎日1時間強、重い新聞を120件程配達して、
月収が3,4千円だったと記憶している。田舎の中学生には、こん
な割の合わないバイトしか選択肢がなかった。今でも風邪などをひ
いて多少熱がでると、夢の中で、どの家に配達してどの家に配達し
てはいけないのか判断がつかず、汗をかくあたりで目が覚めて、あー
夢でよかったとなる。
以来、様々なアルバイトで稼いだ。高校生、というか僕は高専とい
う毛色の変わった学校へ行ったのだが、普段はサッカーとバンドで
忙しくバイトが出来ない。夏や冬の休暇中に稼ぐことになる。
XXコーラのルート・セールスのトラックに乗りこみ小売店を訪ね、
1ダースの木箱を4つ同時に持って移動する術を覚えたのは嬉しか
ったが、これは体力的・時間的に大変きつく、僕の中では今でもこ
の会社はバイトをこき使うNo1に位置している。日給3,500円。
旧国鉄の設備保守のバイトを近所のオジサンのコネで貰ったが、実
際には仕事が無い。精々列車の車軸に紙やすりを当てる程度。昼に
弁当食べて夕方風呂に入って帰ってくるようなものである。すなわ
ち単なる員数合わせなのである。組織体質がそうだったのか組合が
強かったのか知らんが、そういう社会の一面も見させてもらった。
これは一日3千円位だったろうか。
北海道らしいバイトとしては、当時活躍していた青函連絡船のキッ
チンがある。キ**クが雇用主であり、社員腕章を貰うと、青函連
絡船に自由に乗り降りできる(これはバイトをやめてからも暫く役
に立った)。往復で10時間の間に、レストランが6時間程開店し
ている。この間に皿を洗う、グラスを磨く、子供のゲロを処理する
というものである。この往復を1日に2回行う時と、3回行うとき
がある。3往復だと30時間となるわけで、当然仮眠はするものの、
さすがに陸が恋しくなる。そして、今でも謎だが、2回往復しても
3回往復しても、なぜか対価は5,800円固定なのであった。
更に北海道らしいのは芋掘りだろうか。これはカ*ビーが雇い主で
あったが、冷夏にてジャガイモの確保が難しかった年である。学生
バイトを雇って農協・農家に無料で送りこむ見返りに、ジャガイモ
の供給を確保するものであった。朝5時半にバイクに乗り、集合場
所の農協・事務所へ向う。ここでランダムに行き先の農家が決めら
れ車に押し込まれる。慣れてくると場所もわかって農家にバイクを
飛ばす。そして朝6時から夜6時まで、ひたすら芋を拾うのである。
日給6千円、すげえバイトだったなあ。我々の掘った芋が、ひそか
に農協以外に向けて出荷されていったのを目撃したこともある。し
たたかなものだなあと思った。
函館は港町ということで、倉庫商売も盛んだ。マイナス20度の冷
凍庫に入って、烏賊の冷凍塊を入出させる。寒いなんてもんじゃな
いが、その1時間後には外に出て、今度はトラックの荷台の中で大
汗かいて作業する。2週間も続けただろうか、とうとう風邪ひいて
ぶっ倒れた。さすがに親に、このバイトだけはやめてくれろ、と言
われたのでやめといた。
その他、場末のスナックでキャンディーズを演奏させられたり、こ
こには書けない数々のバイトもこなしたが、学生生活も終りに近づ
くと、多少知恵が出てくるものである。
僕のバイト人生はパチンコ屋で完結する。高専も卒業年になると自
由時間が多い。いや、本来は卒業研究に没頭することになっている
のだが、勘違いしてパチンコに没頭した。平日の朝から晩まで、毎
日同じパチンコ屋に通えば、当時のパチンコ屋のシカケだと、どう
しても勝ってしまうのだ。今はデジタルやら777とかなんとか、
店のコントロールが強いのだろうが、当時は毎日通って多少の予知
能力があれば大体勝てるのであった。万単位で勝つこともあった。
こうして平日はパチンコ屋に通い、気が向けば学校にタクシーで通
い、週末は優雅にバイクと遊ぶ(週末は素人衆が多く商売しずらい)。
今思えば夢のような学生生活の日々が過ぎ、卒業し、東京に出て社
会人となり、初めて手にした月給は、パチンコ人生の2週間分程度
のものであった。

7/21/2007

Smoking Ban

吸う人も吸わない人もご存知であろうが、英国では7月1日に
Smoking Banが施行となった。
イタリアやアイルランドでは昨年に施行を終えており、いつかは来
ると思っていたが、本当に来てしまった。僕はタバコを嗜む、なん
てえもんじゃなくて、言ってしまえば女房役のようなものである。
例えば物事を考えたり作ったりするとき、熟考一番、ひらめいたも
のを文章や図面にするなりプログラム言語に表現し推敲する。もう
良いぞ、というところでライターをカチッとつけ一服、頭を冷やし
てからまた次のステップに進む、という作業を20数年続けてきた。
アイスクリームで言えばウエハー役である。僕に何らかの仕事上の
作品があったとすれば、それは全てタバコと共に創作してきたもの
である。なので、10年前にオフィスでタバコが吸えなくなった時に
は驚いた。そんな環境で仕事なんて出来るのだろうかと思ったが、
当時は喫煙部屋を作ってくれたり、ビルの外に出て一服、なんとか
その習慣に切り替えた。それでも週末に自宅のPCの前に陣取って、
タバコを燻らせながら進める仕事効率の抜群の良さは否めなかった。
今回は、公衆の集まる場所からの全面禁煙である。レストランは良
い。これは明らかに人様に迷惑のかかる場であり、文句を言うほう
が無理であろう。しかしパブは困る。パブは、喰うという人間の原
始的、生理的欲求を満たす為のレストランとは明らかに違う場であ
り、もっと高尚な場なのである。難しい仕事の話もたまにはするし、
どうやって人を笑わせるか常に考えているし、大変に知的な場なの
である。こういう知的作業が必要な場からタバコを法律で追い出す
のは実に情け容赦の無い殿様のやることであり、これを決めた奉行
たちはきっと良い死に方はせんだろう。英国では施行にあたって様
々な案があった。例えば、食事を出すパブとそうでないパブに仕分
けし、後者はオーナーの一存で禁煙・喫煙が決められる、という英
国人らしい処理案があった。メンバー制のクラブでは、メンバーの
同意で喫煙OKにするという、これまた英国らしい処理法も意見さ
れた。結局は全て却下、全面禁煙となったのである。90年前半に道
路にスピードカメラが取り付けられ始めたとき、英国文化の良さが
また一つ消滅したと残念に思ったが、同様の感がある。
更に追い討ちをかけるように、我が家も7月1日からSmoking Banが
施行された。これには驚愕した。そんなことは全く考えていなかっ
たので一瞬頭が白紙になった。禁煙奉行は無論同居人であり、猛烈
な抗議を試みた。せめて2nd bed room で、と小さな声で最後の抗
議を試みるも一蹴、かくて我が家は全面禁煙となり、英国的良質文
化がまたひとつ消滅したのである。これを決めた人はきっと・・・や
めとこ;
ところで私の顔は真っ黒である。いや、タバコのヤニではなく、一
週間のビーチ・ホリデーの結果である(先週の投稿さぼりました、
ごめんなさい)。もともと地黒であり、更に日焼けしやすく、かつ
また赤くならずに当日そのまま黒くなる、という函館人にも相当珍
しい特異な体質なので、ちょっと日本人に見えなくなってしまった。
そんな顔が真っ黒の白髪のオヤジが自宅の前のストリートでぶらぶ
らタバコを吸っていると、通行人が嫌がる、いや、嫌がっているよ
うに僕が感じる。
ということで、大変肩身の狭い寂しい思いをしておる。いっそのこ
と止めてしまえと人は言う。言わば言え、30年も連れ添った女房役
をそう簡単には捨てらんわい。

7/07/2007

Freelander

僕の父親は国語の教諭をしていた。いわゆる文系であるが、当時ワー
プロを仕事に取り入れたり、今でもそこそこパソコンを使いこなしており、
多少は技術っ気があるのかもしれない。僕は根っからの技術系なの
だと思う。結局電気屋になったが、機械屋になってもいいかなと思
う時期があった。
中学に入って自転車に興味を持った。サイクリスト?名前は忘れた
が月間雑誌をせっせと読み、新聞配達で稼いだ金をパーツにつぎ込
み、親に買ってもらったごくふつうの黒い自転車が、見た目は軽快
なイエローのスポーツタイプに変身した。高校では無論バイクにな
る。今時のバイクはコンピューター制御されているのであろうが、
昔は機械のみの塊であり、そこそこ単純なもので、少年の技術心を
十分に満足させてくれた。
カワサキのTR250というオフロード・バイクのエンジンをばらばら
にしてシリンダーヘッドを磨いたりして楽しんだ。このバイクは月
に一度はポイントを磨いてタイミングをとってあげないと機嫌が悪
くなるしろものであったし、ケッチンがひどく何度も足に痣を作っ
た。機嫌がよいとその加速はすばらしいものがあった。可愛いバイ
クだった。その後ホンダの良心と呼ばれた CB 400 Fourという素敵
なバイクが愛機となった。函館から1時間弱で大沼公園という観光
場所に着くが、ここの湖畔が格好の私レース場となった。今思えば
実に危なっかしいことをしていたもんだが、していないよりはよかっ
たと今思う。男の子はなんでも体験すべきだ。
自動車の免許をとったあたりから、機械熱はさめ、ただの乗り物に
なってきた。とはいえ今でも車の運転は好きなほうだろう。何時間
乗っていても苦にならないし、天気がよいとドライブも良いもんだ
なあと思う。
何度かこのブログに登場した真っ赤のアウディーがとうとう我が家
を去った。10年以上も僕に付き合ってくれたんだから、写真ぐらい
撮っておけばよかったかと多少後悔している。そして我が家に新た
に登場したのは、濃紺のランドローバーである。このような高い
(値段ではない、車高のこと)車に乗るなんて思ってもいなかった
が、車好きの社員が最近新車に乗り換え、売りに出ているところを、
さっと買ったものだ。社員の中古を社長が買うのは変人だという声
もあるが、そんなことには僕はまったく頓着しない。僕が尊敬する
伊藤忠会長の丹羽さんは、社長時代にも電車通勤し、マイカーはカ
ローラだったそうな。あっはっは、あっぱれ社長。
この車は少なくとも7、8年程度は動いてくれるだろう。実に安く
売ってくれて、ありがたいと思う。動けば良いと思っていたが、乗
ってみると、とっても楽しい車なのに気付いた。 Free Lander と
いう車だそうだが、エンジンがなんとV6で2.5リッターという強力
なもので、重い車体なのに加速が大変良い。オートマなんだけども
マニュアル・モードがあったりして、機械心も擽ってくれる。当面
ドライブが楽しくなりそうだが、天は二物を与えず。大食いなのだ。
ペットロールのゲージが目に見えて減る。まあ年に2千マイルも走
らないので良しとしよう。長生きしてくれよオ。

7/03/2007

Transfer pricing

当社グループは4月に再編を行い、東京店が本社・親となり当店は
子となった。これを機会にちょいと勉強してみると、移転価格とい
うものがあることが分かった。
例えば、当社の本社である東京店が営業し、欧州での仕事を100円
で受注したとしよう。ごく当然ながら子会社である当社が実際の仕
事を欧州で担当する。わざわざ当店の競争相手に仕事を与える馬鹿
な親はおらんであろう。
さて当店ではこの仕事を70円で請け負ったとする。即ち東京本店は
30円の荒利となり、当店では売上げ70円からコストを差し引いたも
のが荒利となる。ここで、移転価格という概念では、はたしてこの
70円という請負い金額が、世間一般で取引されている価格とかけ
離れていないかどうかが問題となる。
仮に70円が世間一般と比較して大安売りだとすると、英国の税務
署が文句をつけてくる。もっと高く売れたはずだろう、その”はず”
の数字に対して企業税を払えと。
逆も真なりで、70円が世間相場よりも高かったとすると、今度は日
本の税務署が文句をつけてくる。子会社なので、高く買ってあげて
便宜を図っただろう、ついては高く買った分に対して企業税を払え
と。
上の例のような単純な売買のみならず、”技術”や”知的財産”に
も移転価格が適用される。親会社が開発した技術を使って、海外子
会社が製品を作って販売した場合、日本の税務署は黙っていない。
開発元である東京本社に対して、おまえはタダで技術を子会社に供
与した、ついては子会社がそこから得たであろう予想利益に対して
企業税を払えと。
親が我が子に愛情や教育や生きていくための食料や物資を無償であ
たえることは、ごくあたりまえの行為であろう。動物的な本能とい
える。そこに国家がしゃしゃりでて税金をとるのは何ゆえか。
さらに、移転価格の対象者は、国際的に活躍し既に企業税を各国で
納め、世界的な雇用機会を創造してきた企業であり、すでに十分な
社会的責任を果たしている。何ゆえ更なる税金、しかも世間一般と
いう実にあいまいな数字基準を持ったもので絞り上げる必要がある
のか。基準があまいために、この税務署調査には膨大な時間が費や
され(即ち税金が使われ)、膨大なディスピュートが発生するだろ
う。
僕は今のところ、この仕組みの本質が分かっていないのだろう。偉
い人たちが考えたものであろうから、様々な理由や利便もあるのだ
ろう、誰か教えてやってつかあさい。

6/23/2007

日経ビジネスという雑誌がある。雑誌という性格上やむを得ないが、
調査の掘下げが弱いなあとぶつぶつ思いつつも、なるべく電車で斜
め読み程度はするようにはしている。今週号では、2枚の顔写真が、
別々の記事であったが、対照的だった。一方は、循環取引を続け千
億円水増し世間に叩かれている会長。この方は自ら起業されたが、
50年目にして躓いた。一昔前の悪徳政治家のような写真が載ってい
る。
他方も随分昔に起業しヒット作を何度も世に出てきた食品会社会長
だが、この方は個人で100社以上の優良株を大量に保持する個人投
資家としても有名だそうな。この投資家は株を売ったり買ったりは
せず長く保持するそうで、短期的な投機はしない。ただし、リーズ
ナブルな配当金をしっかり要求する。取締役会にとっては、頼もし
い資金提供者であり、かつ厳しいお目付け役にもなるだろう。理想
的な投資家ではないだろうか。実に良い顔写真が載っている。
どこぞで読んだか忘れたが、リンカーン大統領がどうしても毛嫌い
する政治家が居た。側近が思いあまって意見すると、顔が気に喰わ
ぬと言う。この人格者である閣下が人を顔で判断するは如何かと諫
言すると、40をこえた男は自分の顔に責任を持たねばならぬと。
日頃考えること、心がけること、行動によって男の顔は30代あたり
で変わるという説に僕も同意する。
成田空港の本屋でなにげ手にした本が大当たりだった。ポンティン
グ氏という英国人写真家が明治時代の日本について、大量の写真と
共に書かれたものである。日露戦争に従軍され、奉天に児玉源太郎
陸軍大将を訪問したり、上村彦之丞海軍中将の自宅を訪問したりと、
ポンポンと僕のヒーロー達が登場する。残念ながら彼らの写真は掲
載されていないが、一枚だけ実に印象深い写真がある。
黒木為楨陸軍大将が、ポンティング氏を右に置いて、側近たちをま
じえた記念撮影である。暫く動けなくなった。なぜなら僕の想像力
で描いていた黒木大将の映像ががあまりに矮小なものだったからで
あった。黒木大将が作り出す空気がそこに嗅がれる。風格などとい
う単語は陳腐にさえ感じられる。写真がモノを言う。そしてまた、
大将の周りを固める士官や、ポンティング氏を含めた英国人従軍者
達の顔達がこれまたすごい。
昔の日本には凄い人がなんにんもいた。明治時代に生まれたかった。

6/09/2007

CSR

5、6月は日系企業で海外赴任や帰国が多く発生する時期でもある。
今年も仲良くなりお世話になった数人がご帰国となり、しばしの別
れとなる。寂しい限りである。確かに国際電話があり、インターネッ
トがあり、電子メールがあり、カメラさえある。連絡手段には事欠
かないのだが、それは一枚のハガキの領域をさほど出ない。時間と
空気の共有が格別なのである。給与改定時のどたばたが落ち着いた
と思ったら、当社でも人事のどたばたが始まり、今年も人材の動き
が激しい初夏となった。
ちょいと前までは、企業は人、金、物といわれたが、今流行のCSR
(企業社会責任)風にいうと、社会、経済、環境だそうな。企業は
法人市民として社会責任をまとうせねばならない。ごもっとも。し
かし環境だなんだというのは、当社のような小企業には大上段すぎ
て白々しいし、上場していないので株主なんてどうでも良い。当社
はヒトの年齢でいえば小学6年生あたり。ぶっちゃけたはなし、悪
いことをしないで、真面目に仕事し、出来るだけ金を儲けて、税金
を毎年国家に納め、残りの金で会社を大きくする、のが当社のCSR
だ。
この際、サービス業の当社に最重要なのはヒトである。そのヒトが
一時期に複数出たり入ったりするのは、なかなか賑やかな風景でも
あるがゾッとする瞬間でもある。最近、こんなちんけ会社にも興味
を持ってCV(履歴書)を送ってくる前途有望なヒトが徐々に増え
てきている。聞けば当社のWebページを読んで応募したという。
確かに昨年相当の時間をかけてリクルートのページを書き込んだ。
これはホントにしんどい作業であり、できれば分散したいが、当面
人事のことは僕に執行責任があるだろう。面白いページには、確実
に反応があるのは分かっているのだから。

5/27/2007

Wage

当社社員の収入は、年一度、職責・職能の分析と課長会による多少
の調整で決定する。ボーナスは貢献度に重みを置いている。2年前
に職能分析システムを手作りし、多少の改良を続けている。今年は
4月からアプレーザルと分析を開始し、今月の給料にそれらの結果
を反映した。
毎度の事だが、不機嫌になる社員が出てくる。その顔は変わる場合
もあるし、毎年決まって機嫌が悪くなる社員もいる。気の毒だとも
多少思うが、こちらも真剣に評定を重ねた結果である。
他方、給料が驚くほど増える社員もいるが、こんなに増えて僕は一
体何をやらかしたんだろう、今後どうすれば良いのだろう、と言っ
てくるものは一人もおらんなア。
僕は過去に3度転職している。一度目は当時の収入の低さとそれが
退職するまで続くという予想が一番の理由のように記憶している。
大企業であったし、当時、給料の交渉というのはありえないものだ
と思っていたので、静かに辞めた。2度目は渡英に伴うものであっ
たが、日本で貰っていた給料を当時のレート、260円位、でそのま
まポンドに直したものを頂戴した。ロンドンの物価とTAXの仕組
みを知る方なら、その悲惨な生活に共に涙してくれるだろう。厳し
い英国生活を開始したのであるが、日本を離れてしかできない経験
はカネには変えられない。3度目は今の会社を興した時であり、資
本金を入れた後、無論、数ヶ月間給料なんぞはない。なので、僕の
社員番号は今でも4番である。昨年ついに僕の給料が上がり、名実
共に会社のトップになった。手前のカネが増えたのも多少嬉しいが、
漸くまともなピラミッド組織になってきたのが嬉しかった。
思えば社員達は常に仕事に頭を使い体を使い、更に評定や年収・残
業代に気を配りながら毎日仕事している。大変なものである。でき
うれば、社員全員の後者の部分を取り除いてやりたいが、なかなか
そうも行かない。会社の成績を冷たく分析しながら毅然といくしか
ないのだ。この時期、マキアヴェッリを読み直すのが習慣になって
きた。

5/19/2007

Golf

5月、6月のロンドンは本来すばらしい。今年はなんだってこんな
に暗く湿っぽい日が続くのか恨めしい。
先週末はJCAのゴルフコンペが開催された。第300回ということで、
300ポンドの旅行バウチャー争奪戦となった。あいにく優勝は逃し
たが、小雨しとしとの中、プレーはそこそこ自己満足であった。
そう、僕はとりあえずゴルフをする。するとはいっても腕前は恥ず
かしくてとてもここで書けるようなものではない。なにしろ平均ス
コアは110は超えるだろう(書くなっ)。そのくせ、なんと15
年程のゴルフ暦を持つのだ。僕自身は割と楽しみながらプレーして
いるのだが、どうにもゴルフが僕のことを好きになってくれないら
しい。従って上達の気配すらない。
玉といのはその形状からしても、本来動的なものではないだろうか。
静止している玉を打つという妙なスポーツはゴルフ以外にそう多く
はないと思う。玉突き位しか思い浮かばないが、これも若い頃、ビー
ルを飲みながら朝まで遊んでいたが芽がでなかった。英国のパブに
は玉突き台が置いているところが多いが、最近はちょっと酔うと空
振りさえする。ちなみに僕は玉をひとつずつ親指で弾くパチンコ台
を知るほどの高齢ではないが、小学生の頃にオハジキという遊びが
あって、あれはオフィシャル(あまり周りに馬鹿にされずに)に男
の子と女の子が一緒に遊べるしろものであったが、いまどきの小学
生は知らないだろうね。
当社の若いモンが数人、ゴルフを始めたと聞いた。英国人の二人は
既にコースを廻っているというから、たいしたもんだ。7,8人は
集まりそうなので、今年中に大コンペ(2組・・・)を開催しても
らおうかと思う。入賞者には当社特製ボールペン等、豪華賞品を提
供しよう。仕事仲間が週末にスポーツに取り組むところを横で見る
のは、お互いなかなかおもしろい。豪放磊落な当社M取締役が決し
てウッドを使わなかったり、Y取締役が意外とパットをきちきちっ
と決めたりする。仕事でもこういう面を見せて欲しかったりする。
とはいえ僕のゴルフも割と慎重だったりする。あっはっは、人のこ
とは言ってられねえや。

5/15/2007

段取り

住めば都という。当社オフィスが現在のCity東のはずれに移転した当
初は、都落ちという単語がちらついたが、やはり住めば都なのである。
レントは安いし、かといってお客様のオフィスに、バスや走りで30
分以内で駆けつけられる。レストランは妙に多く、昼飯の選択には迷
うほどだ。他テナント社員の雪駄・短パン姿も、慣れてしまえばなん
てこたあない。空調もとりあえず冬の間は快適であった。とはいえこ
のオフィスは2009年の秋に契約が切れる。来年の後半に、またまたプ
ロパティー探しを始めなきゃいけないかと思うと気が滅入る。
さて、当社オフィスが面している道路は、先週から通行止めが続いて
いる。昨年越して来たときにも2ヶ月程だろうか、同じく通行止めが
続いていた。例のThames Water社の大々的な水道管の交換工事の一環
であろう。昨年の通行止めは、主水道管の入れ替えであり、今回の工
事は、新しい主水道管から各ビルへの引き込み管の交換のためである。
この段取りは興味深い。工事を2回に分けることにより、総コストを
抑えられるのか、またはサービス停止期間を少なくできるのか。また
は何も考えていなかったのだろうか。
現場には2枚の看板が張られている。これも興味深いので紹介したい。
一枚は、僕のつたない訳によると、「この現場工事は、シティー・オ
ブ・ロンドンの通達による、”静寂な時間”を厳しく考慮している」。
当オフィスは3階にあるが(日本で言う4階)、先週の真昼の騒音は、
相当賑やかなものであった。いったいどいういう通達なのか、もしく
はどういう考慮なんだか。大声で歌いながら作業しているおっさんも
いる。2枚目、「私たちの工事は直ぐに終わりますが、この工事によ
る利便は永い寿命を保つでしょう」。直ぐに終わる、の部分は a
short while と表現されている。既に週末を挟んで一週間経過してい
る。少なくとも今週一杯はかかりそうな現場の進捗状況である。
先週、お客様のシステムが不都合となり、Tolworthまで我が真っ赤な
アウディーで駆けつけた。自宅はPutneyなので、普通に走って20分
かからない程度の距離である。仕事を終えての帰路、A3のRobin Hood
前が大渋滞であった。事故かなあと思つつ、漸くのろのろと信号を通
過すると、2台のでかいトラックが2車線の片側を完全に塞いでいた。
そして無人。誰もいない。A3というのは南西部とロンドンを結ぶ幹線
道路であり、いったい誰がどういう段取りでこういう渋滞を発生させ
るのか、ロンドンではよく見かける光景だが、どうにも腹が立つ。
この国での段取りは一般的に言ってしまえば上記のようなものだが、
火事場には滅法強い。IRAテロの事後や、ダイアナさんの葬式での素
早い段取りや行動力は感動的とさえ言えた。ちょいとずれるが、過去
の戦争でもここ一番という天王山は全て制してきた国である。しかし
普段はシャープさに欠けた、ただの人に戻ってしまうのである。これ
も興味深いと言えばそうでもあろうか。

5/05/2007

Bank Holiday

日本はGWだったが、えげれすの今週末も3連休。小旅行を楽しむ
方も多いだろうと思う。出不精の僕は予定もなし。
僕が最も効率のよい仕事を進められるのは、困ったことに週末の午
前中である。もういいという程たっぷりと睡眠を取った後の朝は、
頭が良く回転する(除:二日酔)。電話もかからないし、メールも
非常に少ない。自分のやるべき仕事のみに集中できる邪魔なしの数
時間は仕事に最適なのである。当社は物理的な紙を極力嫌うオペレー
ションを行っており、外部からやってくる全ての書類はスキャンさ
れ、サーバーに格納する。なので、自宅からインターネットを経由
してオフィスのほぼ全てのリソースへアクセスが可能であり、自宅
から出来ない仕事はまず存在しない。とはいえ、これまで家族サー
ビスの必要性がなかったから、とは言える。言えるどころか、重要
な問題であろう。しかし僕は社長という機能であり、静かな環境で
一人キーボードと相談しながら週末の朝にモノを考えることを止め
るわけにはいかない。家人には良く良く言って聞かせ、そして書斎
が作れる程度のフラットに移動する必要があるかもしれない。
こうした快適なリモート仕事環境をお望みの方はエクスレイヤまで
ご一報下さい。LibのBlog を読んだと言っていただければ、1ポン
ド引きとさせていただきます。
先月の赤字にて精神的にせこくなっている。赤字月は毎年何度かあ
るし嫌なものだが、同時にこれは確実に精神引き締め剤となる。赤
字になったからどうしようか、というのは順序が間違っているし、
時すでに遅しではあるが、自然、モノをあれこれ考えるトリガーに
なる。今朝もひとつ案が浮かんだ。これは速インプリしようと思う。
部課長達の嫌な顔も浮かぶが。
---
Japan Communication Association (JCA)というソサエティーに参
加させていただいているが、年に2度セミナーが開かれる。今回は
Herbert Smith (弁護士事務所)の方々に、ここ20年の欧州の通
信事情と今後を講義していただいた。さすがはロイヤー、論旨明晰、
大変面白かったし自分の勉強不足が露呈した。内容もさることなが
ら、女性弁護士の発音には、とろけてしまった。出だし聞きとりに
くいなと思ったが、直ぐに慣れ、そして目を瞑るとそこにはサッチ
ャーさんおられてが演説しているようだった。時と場合によってこ
んな発音をしてみたいものだと思ったが、函館の百姓には3代かか
っても無理だろう。