10/04/2011

Cold Turkey

節目とは良く言ったもので、自然科学的には殆ど意味が無いのだろう
が、それ、怠惰な僕のような人間にはそうしたイベントが、しばしば
行動のトリガーとなってくれる。
今月は二つ。当社の10回目、および個人の50回目の誕生日を迎え
たこと。
前者だが、特別な感慨は無い。SustainAbility などと偉そうなこと
を言い続けてきた。今でも判断のポリシーの第一はそれである。たか
だか10年でどうこう言う筋合いは無いであろう。最初の小さな1ユ
ニットを、まずはサバイブしたぞえ、と言う位の気で、永く顧客に愛
される組織を維持せねば、いまだ吹けば飛ぶような組織である。せい
ぜい励み続けなければなるまい。
後者は、それほど単純ではない。人が死ぬれば、その将来は死の刹那
に消滅する。将来やるべきこと、いや、確実にやらねばならぬものが
在ると信ずる者にとって、死ぬることなくそれに向かって前進を続け
られたと思えば、それはなかなかのものである。まさに、ありがたい。
以前、運のことを書いた。努力による運、全くの偶然による運。ヘル
シー的には大分お茶目な3、40代を過ごしてきた者にとって、50
年間死ぬることなく過ごせたことは、神仏に頂戴した運がよほど良かっ
たとしか結論付けられない。他方、運によりかかるものは、運によっ
て滅びることも歴史的事実のようであり、そこのところが、実にヤバ
イと思っているこの頃である。簡単に言うと、酒とタバコという悪友
達から、少し距離を置いた付き合いをせねばなるまいだろうなあ思う。
(こういう表現に意思の弱さが表れるなア)
ここまで書いて、いつもの半分程に量を減らした(本日)最後のタバコを
庭でくわえていたら、天から声が降りてきた。”オッサン、10年前の誕
生日にも、同じこと言ふてたで”