1/29/2007

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手足が震えるだけ怖いと思った。先週土曜日は、お客様のコンピュー
ター室の引越しがあり、当社エンジニアが15名強集まって朝から
現場を走り回ってくれた。各員、動きがきびきびしており、声も良
く出ていた。笑いと緊張がほどよく共存していた。僕が理想とする
週末現場仕事の雰囲気であって、ちょっとした感動モノであった。
チーム割りもうまく機能し、新人達は課長達の体の動きや頭脳の使
い方を目の当たりにして、当社の現場文化(僕の造語)や現場サー
ビス品質のレベルについて、大いに感じてくれたところがあったと
思う。
なんと力強い組織だろうと思った反面、とても怖いと思った。
’現場文化’は一日で成るものではない。当社のような小さくて新
しい組織の場合、まずは一人か二人による文化の造り込みから始ま
る。それが役員に伝達し、そして課長に伝わり、更に社員全員に徐
々に浸透せねばならない。何年もかかるし、どこかの伝播経路でこ
けると、その下の社員には、こけた文化がそのまま伝わる。まるで
コンピューターのように論理的で、構造的で、階層的である。最初
に僕が造り込む文化が並のものだと、全社員に伝わる文化も並のも
の、またはそれ以下となる。上質のものであって初めて全社員に上
質のものが伝わる可能性を得られるが、あくまで可能性であり、途
中でこけることも大いにありえる。そんなことを、週末に走り回っ
て良質な仕事を何時間も継続してくれた社員達を見ながらつらつら
思っていたら、足が震えるだけ怖くなってきた。多少の心地よさを
伴う恐怖感であるが。少しは社長という立場の怖さを身をもって分
かってきた、ということだろうか。40にして不惑というのは正直に
いって分からない。単に怖いのみである。
営業力の問題を抱えつつも、現在25名の組織となった。僕が当面
の目標としてきた、ある素敵な会社組織(もうなくなったが)が3
0名規模だったから、6年目の当社にとって、あともう一歩。毎朝、
緊張で手足を震わせてながら気を引き締めていこうと思ふ。
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さて、僕の車がまたぶっ壊れた。今回は、デフロスタ(窓乾燥ファン)
がスチーム発生器に化けた。10日ほど入院が必要だという。お代は
まだ聞いていないが、恐ろしいことになりそうだ。
こちらも怖い。

1/22/2007

Profit Rate

渡英してから数年後、短期間集中型のプロジェクトがあり、毎
日朝から23時まで(をチームの約束事にした)仕事をする生
活が半年間続いた。若かったし集中力は継続できた。プロジェ
クトの終盤を向え、週末イベントを控えて念入りに仕込みを進
めたが、土曜日の当日、病院行きとなってしまった。腕に斑点
が現れ高熱を出してしまったのだ。仲間が大いに頑張ってくれ
てこのプロジェクトはうまく完了した。
さて、このプロジェクトの後、僕は急速に体力の衰えを感じ始
めることになる。長時間仕事を毎日続けたのが原因とは思って
いない。単にタイミングなのであろう。皆、ある年齢になると
急激に体力の減退を覚えるという。僕の場合は他人よりちょっ
と早かったようだが、ではその後さらに体力減退しているかと
いうと、そうでもない。今から5年前とさほど変わっていない
ような気がする。気がするだけかもしれないが、自分の体は自
分が一番知っているつもりでもある。
帰省兼ビジネスで日本に飛び、現在東京に滞在している。4階
の窓から下を眺めると、ジーンズ等を売っている店がある。店
の周りに旗を沢山ならべて、なかなかにぎにぎしいが、24時
間年中無休という旗も立っている。服屋が24時間開いている
のは確かに便利な時があるのかも知れないが、もし東京の何処
にも24時間営業のジーンズ屋がなかったとしても、さほど困
ることは無いように思う。むしろ、夜中の売上がはたしてどれ
程のものになるのか、人件費や光熱費を費やして、はたしてど
れだけの粗利率になるものかと心配してしまう。
郷里の函館に2日間滞在し、親兄弟や友人達と久しぶりに楽し
く談話をした。友人は30歳の頃、毎日朝8時から夜中の2時
まで仕事をし、それが3年間続いたそうだ。壮絶なものではあ
るが、似たような話は日本ではどこでも聞く。長時間働くこと
が一つのステータスになっている、というと言い過ぎであろう
が、これだけの長時間を費やさないとビジネス社会で競争でき
ないというのは、あまりに知恵が無いと言ってもよいのではな
いだろうか。高度成長を経て、日本は現在確実に低成長・安定
期に入っているのだから、もう少し知恵を絞って時間をかけず
に利益率を上げる努力にも時間を割いたほうが良いのではない
か、などというと高度成長を支えてきた先人や猛烈社長さん達
からお叱りを受けるだろうが、今回の旅の正直な感想である。
時代時代の経営をすべきではないか。
以下蛇足ながら。前述のプロジェクトは10年前の事だったが、
あまりの忙しさに会社にアルバイトを入れてもらえるようお願
いした。当時英国にて遊学していたうら若き日本人女性が雇わ
れ、現場事務所で僕に平気でこき使われていた。半年間の勤務
の後、日本に帰っていったが、縁というのは実に不思議なもの
である。この歳で誠に赤面ものだが、10年続いた僕の独身生
活がピリオドとなりそうだ。

1/12/2007

Cash

数年前に会社を作ろうと決心した時に、こらあかん、と思ったのは
会計のことだった。損益だとかバランスシートだとか全く知識がな
い。できあがるであろう会社の財布は、結局僕が握るんだというこ
とに気付き、はじめてゾッとして、翌日本屋に出かけなるべく分か
りやすい3冊を仕入れた。なにしろ会計のプロを雇うなんて不可能だ。
更に会計ソフトを購買し、架空の会社を作って、架空のトランザク
ションを入力して、PL/BSにどう現れるのか練習を重ねてみた。技術
屋的なアプローチなのだろうが、これはなかなかワークし、減価償
却とは何ぞや、発生主義とは何ぞや、VATとは結局だれが負担してい
るのか等々、良い勉強となった。会計の世界は技術の世界と同様、
大変システマティックなのだなあと思ったし、意外としっくりきた。
毎年のことだが、師走から年頭にかけて当社のキャッシュが極端に少
ない状態となる。今シーズンも相当厳しく、年末から数週間、銀行口
座に3万ポンドという状態が暫く続き、ちょいと緊張が続いた。売上
高 1/100のキャッシュのみで数週間凌ぐのはエキサイティング、など
ということは過ぎてから言える事であって、実際には毎回胃の痛いも
のである。とはいえ、クライシスを乗り越えた後には、ちょいと自分
を褒めて上げたい気分を3分間だけ味わうだけの達成感がある。会社
の財布は確実に守らねばならない。受注が山のようにあるのに倒産
する会社が山ほどあるらしい。毎日Profit and Loss を眺め、Bank
Recoincileをこまめに実施し、キャッシュの先行きを常時気配りし
ないと、小企業はあっという間に不渡り。
個人の家計もしっかり守ればよいのだろうが、どうもこちらは興味
がないのか、からっきし駄目である。
本年度の予算が確定し、早速課長会を開いた。殺人的な数字の羅列で
あるが、特に文句はでなかった。もしかしたら達成できると思ってい
るのか、まったく見たことも無い数字にボーっとしているのか、その
あたりは分からないが、通った予算は知恵を絞って力強く行動し達成
したい。
さて、明日は日本に飛ぶ。前から欲しかったRimowaの4輪ケースを入
手し、ぼちぼちパッキングを開始した。ポンド高がちょいと嬉しい。
いってきまーす。

1/06/2007

A happy new year

Christmasが4連休、年末年始は3連休だったが、どうも休んだ気
がしない。ちょっとしたビジネス判断の時期が迫っており、頭が過
熱気味である。加えて忘年会・新年会が毎日続き内臓も大分疲れて
いるらしい。本日は何も考えず酒ものまず、風呂と読書で一日無為
に過ごそうかと思う。
金曜は、当社非常勤取締役のトニーさんと午後を過ごした。彼は僕
の頭がもがいている時に必ず現れて、豊富な経験と鉄のような力強
い意志を大量のジョークと共に惜しみなく与えてくれる。ありがた
いことに、彼のようなビジネス経験豊富な英国人オヤジ数名が僕ら
のビジネスを常に見守ってくれている。吉田に過ぎたるもの二つ有
り、知恵の課長会と、静かなるオヤジ達、というところか。昨年は、
それぞれのスタッフが将来への手ごたえを多少感じてくれたと思う。
本年度も気を引き締めて計画通りの成長を達成したい。
さて年末年始は日本に帰省された方も多いと思う。今週は電車とパ
ブが比較的すいていた。ビジネス・フル稼働は来週からなのだろう。
ふと気付いたが、日本に帰省する際には、文字どおり日本に”帰る”
と普通は表現するだろう。が、渡英10年を超えるあたりになると、
日本に帰り、英国に戻るときにも”帰る”になる。どっちも”帰る”
なのが面白い。更に20年近くなると、日本へ”行く”になり、英
国に”帰る”と、まるであべこべになってしまう。所用にて来週末
から日本へ行き、実家にも顔を出してこようと思う。日本は飯がう
まい。ごく普通の朝ごはんが、味噌汁が、なんてうまいのだろうと
感激さえ覚える。それと、日本産ワインが評判良いらしく、これも
2年ぶりの日本の楽しみにしている。
今年もよろしくお願いします。